【天上天下唯我独尊男ドクソ】

「適応障害寛解者の思考的弱者思考」

【このブログの方向性】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

今朝、知人から「ドクソのブログって、最初と言うこと変わってきてるよね」と言われた。

僕自身は現在の気持ちや考えたことをつらつらと書き綴っているだけなので、何の変化が起きているのかは分からないが、知人が言うには「死にたい」という単語が減り「生きたい」という類の発言が増えてきているらしい。

 

確かに、今僕は死にたくない。

 

僕が死んだら家族は悲しむだろうし、僕自身もこれからの幸せを享受できない。

まぁ、生きていてもこの先良いことが起こるのか分からないし、もしかしたら適応症害になった時点で死んでいた方が楽だったかもしれない。

 

それでも、僕は今、生きていたいと感じている。

 

このブログをはじめたときは「駄目な自分が今後どう生きていくか」という明確な目的があった。

 

しかし、今の僕はそんな「明確な目標」など掲げずとも、生きている。

「駄目な自分でも良い」と自分に言い聞かせながら。

 

自分の駄目なところに気づいていなかったり、認めていないと生きづらい。

所謂「完璧主義者」は他人にも「自分の思う完璧」を押し付けるし、「意識高い系」は他人の「意識を変えよう」とする。

 

自分という個性を他人に押し付けようとすること自体に気づいていない。

 

過去の僕も完璧主義者であったが故に、自分の間違いにも他人の間違いにも寛容になれていなかった。それは今もそうで、なかなか自分を改めるのは難しい。

 

このブログもいずれ本を出版したいと思いながら書いていたんだけど、どうやらこういった日記系のブログは出版社の目には留まりにくいらしい。

 

それ以前に読者数250人のブログが編集者のアンテナにひっかかることなどまずありえないのだが……

 

それでも、人生で一度でも自分の書いた本を出版するのは僕の夢であり、目的の一つである。

その目的を達成するためには、どんな記事でも毎日更新する事が必要不可欠なので、これからも僕のブログを読んでくれると嬉しい。

 

【服と体型】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

ファッションが好き、ピアスをつけている。

この情報だけ見ると、僕がお洒落な人間のように思えてくるが、それは誤解だ(誰に向かって言っているのか)

お洒落というか、尖っていたように感じる。

 

現在の僕はかつての堕落した生活と薬の副作用によって、太っている。

基本的に痩せ型の人間であったため、今の体重もBMIで確認すれば適性値は標準だが、かつて履いていたスキニーデニムは全てダメになり、服のサイズもSからMサイズに変えることを余儀なくされた。

 

幸い、集めていたトラックジャケットはぎりぎり着れる体型に落ち着いたため、パンツを買い替えるだけにすんだのだけど……

 

他の人より細いことが僕の自慢であったし、その方が僕の好きな服装を楽しめたので、これから少しずつ理想の体型に戻していく必要がある。

 

適応症害を乗り越えて、今の自分の体型を気に入ってない訳では無いのだが、人間には個々に適性体重があり、その体型にあう服を選んでいくというのが自然なファッションの楽しみ方である。

 

単に今の体型に合った服を選ぶか、それとも着たい服に身体を合わせていくのかは人それぞれであり、似合っていればどんな体型でもなんら問題はないと考えている。

 

僕の場合、病気が回復していくにつれ、再びファッションへの熱を取り戻しつつある。

これから僕がどれほどお金を稼げるかは定かではないが、自分の出来る範囲でまたファッションを楽しんでいきたいと思う。

 

アンティークのトラックジャケット等好きな人がいたら、仲良くしてくれると嬉しい。

 

【方耳に、ピアス】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

僕は過去に古着を扱うお店に勤めていたため、ファッションが大好きだ。

メンズ服の担当になった僕は毎日のようにネットで新しいブランドの知識を増やし、それを仕事に活かしていた。

 

その職場を辞めて、新しい職場に勤めだして約2年後、僕は適応症害になった。

このブログを読んでくれている読者には悪いと思っているが、病気は僕のアイデンティティであるため、現在の僕はブログを上げる度にその名前を出してしまう。

 

適応症害が酷くなって、家に引きこもりがちになった僕は、あるときピアッサーを買ってきて両耳に4つのピアスホールをあけた。

 

あの時は自分がピアスをしたいと思ってホールをあけたと思っていたが、今思えば自傷行為の一つであったのかもしれない。

その後も安全ピンを使い、ホールを増やす僕の姿を見て、妻は「ドクソがホールを増やすのを見ていると悲しくなってくる」と言った。

 

そう言われてから、僕はホールを増やすことを辞めたが、今は埋まった穴を含めて数えると、全部で7つのホールをあけたことになる。

 

現在残っているホールは、右耳にたった一つ。

後のホールは全て放置しているうちに埋まってしまった。

 

もともとファッションが好きで、全て埋まってしまっては勿体ないと思い、あえて一つは残したのだ。

 

今は二つのピアスを、その日の気分で付け替えて生活している。

 

悪い予感がする日を、平穏に過ごしたい時につける、黒いピアス。

良い予感がする日に、幸運をもたらして欲しいときにつける金のピアス。

 

TPOをわきまえて、着用すべきでない場面では外しているが、それ以外の時間はピアスを着用している。

かつては僕は「ファッションは人に見せるためにある」と考えていたが、誰に見せる訳でも無く、その日の気分で自分のためにアイテムを選ぶのも良いものだ。

 

いまやピアスは、自傷行為の跡から、僕の勇気を後押ししてくれる物へと変化している。

 


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【SMILE】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

僕は今、自分を傷つける人がいない安全な範囲で生活をしている。

本当はもっと外に出て沢山の人と交流を持つべきなのだが、医師のゴーサインも出ていないので、治療に専念をしている状態だ。

 

しかし、次の通院で確実に僕の適応症害は終わる。

場所を変えて治療を続けていくのだが、一旦療養生活の節目を迎えると言う意味だ。

 

闘病生活は長かった、僕の人生の八分の一の時間を治療に専念することになった。

 

過去にこのブログの皆に投げ掛けた【生きていてくれてありがとう】という記事を書いた。

僕は自分の適応症害の経験を通じて「精神病の直し方と、付き合い方」を伝えたいという想いがあったが、いざ自分が一番重篤な期間を乗り越えると、周囲の鬱病や適応症害の完解者と同じように「どうか生きていてくれ、それだけで良いんだ」ということしか言えなくなっている。

 

僕が適応症害に苦しんでいる最中は、そんな意見なんて、全く耳に入らなかったというのにだ。

現在苦しんでいる人もそう。

別に優しい言葉を望んでいるわけではない。

 

それは知ってる。

 

でも言いつづけるしかないんだな、とも思う。

たとえこの世界にいることが辛くて堪らない夜が来ても。

生きて、生きて、生きて、その最終結果を知ってほしい。

 

今が苦しくて、そんな勇気なんて持てない人は、耐え忍べ。

耐えて、耐えて、耐えて、新しい視界が開けるのを待て。

それだけで良い。

 

周囲の迷惑なんか考えずに泣きわめけ。

それがその人の救いになるのか、僕は知らないけれど。

自分の為に泣ける人は、まだ潜在的なエネルギーがある。

泣けなくなってからが病気の真骨頂だと言っていい。

 

だから泣けるときに泣け、笑えるときに笑え。

この世の中を生き抜く術は、これ以外にないのかもしれないと、今の僕は思っている。

 

そんな世の中を恨んだような、死んだ魚の目をしていたって、先の希望は現れない。

人間らしく表情を表に出したときに、人は初めて人としての尊厳を取り戻すことが出来ると僕は信じている。

 

無理矢理笑うってのは、かなりの力業だし、疲れきった自分の顔を鏡で見直すのも辛いけれど、それができなければ「現在の自分を0とする」ことが出来ない。

 

もう皆いっぱい悩んだと思う。

だから、これからの人生にこれ以上の不幸は訪れないと思って、ここから始めよう。

なあに、大丈夫さ。

 

だって、こんな僕でも今を生きてる。

阿呆で臆病者で目立ちたがりやの人見知りで、IQ90の馬鹿な僕だって、今を笑ってられる日々が来たんだ。

 

君にもそれが出来ない訳がないんだ。

 

だから、笑ってごらんよ。

 

 

 

 

 

【思考的弱者思考・26】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

11月の始めに日記を書き始めてから、約70日が過ぎた。

ブログを始めた当初のように、ブログに対して熱い想いを持ちつづけて更新している訳では無いのだが。

これまで何も継続できなかった僕がここまで毎日のように、何かを続けたことには意味があると思う。

また、これからも続けることで、このブログが何処かに行き着くのを見てみたいと考え、今はブログの更新をしている。

 

僕の周囲の人間は、適応症害になった僕をある程度受け入れてくれた。

勿論、その人達全てになんらかの想いがあったはずだが、それでも僕を攻撃すること無く受け入れてくれている。

 

有り難い話だ。

 

「精神病」というと、身体症状は他の病気に比べたら軽いようにも思えるし、実際全く身動きが取れない訳でもないので、本人の根性の問題だという空気がいまだに世間に浸透しているような気がする。

 

そのような認識が蔓延していることで、精神病を患ったことで離婚しただの、自死遺族になってしまっただの、事態が大きくなってから「そんなに悩んでいたなんて知らなかった」という人が後を立たないのだろう。

 

僕はというと、適応障害になる前は「誰もに僕のことを分かって欲しい」という風に生きていた。

現代社会に生きている人はもうすでに知っていて当たり前のことだが「誰にでも愛される」という生き方は無理だ。

 

僕は認知療法を始め、自分の調子が戻っていくにつれて「あ、誰とも仲良く生きようなんて、どだい無理な話だったんだ。僕は僕を認めてくれる人とだけ付き合って生きていけばいいんだ」という考えを持つようになった。

 

この考え方が正しいのか、間違っているのかは正直分からない。

しかし現状、そんな思考パターンを繰り返していると、格段に生きるのが楽になった。

 

「誰にでもいい格好を見せたい」と思うのは、誰でも願う人生の課題だが。

「ごく少数の人に本当の自分を分かってもらう」ことの方が実行しやすいし、心の健康が保ちやすいような気がしている。

 

これからもできる限りブログは毎日更新していくつもりなので、読んでくれると嬉しい。

もう一度言うが、僕はこの、僕が書くブログの行き着いた先を見てみたいのだ。

 

【うつ状態について】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

適応障害になってから、それ等の本や記事を読み漁り、そのどれもが僕のうつ状態を治すには至らなかった。

 

むしろ、適応症害が回復してきてから、新たに生きていく技術として本を利用していて。

 

読んでいて思ったのだが、現在病気である人には、本に書いてある言葉が届いていないように思う。

 

よくツイッター等で『うつ状態の人には、話を聞いてあげるだけでいい、問題解決の情報は、いらぬおせっかい』みたいな呟きをよく目にする。

 

確かにうつの患者に対して、問題解決の為の「答え」を他人が教えることに意味はない。

僕が思うに、うつ患者は「いかにして自分がうつになったか」の答えと、それから脱する方法を潜在的にでも知っていると思うからだ。

 

大切なのは、病気になった本人に、これからどう生きるかを考えさせるための「支援」をすることで、他人が出した答えに意味は無い。

 

セミナーなんかに助けを求める家族も多い。

しかし、それは適応症害や鬱病の知識を深めることには役立つが、それは不特定多数の人間に投げ掛けられた「本人への支援」では無いことを忘れないで欲しい。

 

精神病は病気への理解以上に、「本人への理解」が重要であり、本人にとって周囲の理解が得られていれば、そもそも適応症害になんてかかることも無いのだ。

 

「能動的に話を聞いてもらう」ことは、病気に関わらず悩みを抱えた人にとって有益だが、僕がここで言いたいのは「本人への理解が全て」と言うことだ。

 

この文章を読んでいる人で、精神病を抱えている人やその家族は振り返って欲しい。

セミナーに行くことで、本で勉強することで、本人と向き合うことを疎かにしていないかを。

 

本当の気持ちを分かってもらえる人が一人いるだけで、病気の人を一人救えるかもしれないんだ。

 

【生きていてくれてありがとう】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

今日は時間があるので、2本目の記事を上げてみようと思う。

 

僕は適応症害が治ったと周囲に触れ回っているが、決して悩みがない訳では無い。

むしろ今後の生活に不安だらけで考えるだけでも目眩がするほどだ。

そんなときにはこのブログを書くことで、不安から一旦目を逸らすことにしている。

 

ここに記事を上げていれば読者の皆さんからはてなスターやコメントを貰うことが出来る。

僕が社会的に独りではないということと、気兼ね無く正直な意見を発表できる数少ない場所だ。

 

この【天上天下唯我独尊男ドクソ】というブログを書きはじめて約2ヶ月が経過した。

このブログを続けていくうちに、僕が感じたことは「自分以外の人もなにかしら、悩みを抱えて生きている」ということだ。

 

勿論、そんなことは当たり前なんだけど、僕が如何に周囲に目を配る余裕が無かったのかを思い知った出来事でもある。

もしかして、皆少なからず生きづらさを感じていて「死にたい」なんて想いを持って生きている人も実は沢山いるのかな?

 

こういう想いを抱えて生きているのは悲しい。

世界で独りぼっちになった感覚に襲われるからだ。

 

生きているだけで人はなにかと必ず係わって生きてる。

だから本当に独りぼっちなんてことは有り得ないのだけど、どこか自分の声が届かないような気になって、自死を選んでしまう人が沢山いる。

そんな事実が、今はただただ悲しい。

 

僕に出来ることは、このブログをできる限り毎日更新して「こんなちっぽけなことで悩んでいる奴もいるよ、だからとりあえず今日だけでも生きてみようよ」と言うことだ。

 

本当に今日だけで良い。疲れたなら休んでいて良い。

泣きたいなら、泣いていい。

話したいなら、誰かに話しても良い。

死にたいなら、ネットで死ぬ方法を検索してても良い。

 

そして明日が来たら、またその今日だけ生きることを考えて生活してみようよ。

誰も貴方のことを責めたりしない。

少なくとも僕は責めたりしない。

 

ありきたりな言葉なんだけど、貴方が今、生きていてくれるのが僕は嬉しい。

本当に心からそう思っている。