【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【お狐さま】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

昔、日本では疫病なんかが流行すると「これはお狐さまの祟りじゃ」なんて言ったらしい。

 

現在でも漫画の設定で九尾の狐がどうとかこうとか、とりあえず神様に近い存在というモチーフに使われることが多いような気がする。

 

今回この記事を書こうと思ったのは、近所の本屋さんにあるガチャガチャで息子が狐のキーホルダーを欲しがったことに由来する。

 

最近のガチャガチャはクオリティーが高いよね(それに応じて値段も高いけど)

 

5歳になった息子は今までより作りのよい玩具を欲しがることが増えた気がする。

 

元々仮面ライダーみたいな所謂格好良いものより、ぬいぐるみのような可愛い玩具に夢中の息子は昔からガチャガチャが大好きだ。

 

僕も昔は親に沢山買ってもらった覚えがあるし、成長するにつれてなんだか顔も性格も僕に似てきた息子。

 

こんなに自分に似てきて大丈夫か?なんて想いもあるけど順調に育ってくれていることに嬉しさも感じる。

 

また話が脱線するところだった。

今回は【お狐さまのキーホルダー】を紹介したいだけなのに。

 

僕は以前から「神様はいる派」の人間だとこのブログでも語ったことがある。

 

信心深いわけでは無いが、自分の実力を発揮した後にその結果を運に任せることしか出来ない状況になったときにはお賽銭をもって神社に行くこともある。

 

何にも努力していない場合の「神頼み」は都合が良すぎるから好きじゃない。

かといって事の全てを「努力」で片付けるのも好きではないが……

 

でもさ、自分が信じるパワーアイテム(?)やパワースポットってあっても悪くないんじゃないかと最近は感じている。

 

たかが三百円払って何かが劇的に変化するなんて思ってもいないけど、それでもなんだか「これを持ってると運気が上がる」とか「何か良いことが起きそう」っていう気持ちは、決して悪いものでは無いような気がしているんだよね。

 

こんな狐のキーホルダーに何を期待しているんだとか思われそうだけど。

 

単純にモチーフとして可愛いし、息子とお揃いのキーホルダーを持っているのも良いもんだと思ったので。

 

是非皆さんもこのガチャガチャを見かけたら一回やってみてくださいね。

 

そうやってお揃いの輪が広がったりするのもなんだか面白いような気がしているので。


f:id:dokuso:20200627200212j:image

【思考的弱者思考・41】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

前回記事を更新してから一ヶ月以上経過してしまった……自分の意志薄弱さに呆れるばかりだ。

それでもまだブログを更新しようという気持ちがあったことを嬉しく思う。

 

新しく介護の仕事を開始してから一ヶ月半が経った。

どんな分野でも仕事が出来ないのは情けない事だが、今の仕事先の先輩方は僕の事を長い目で見てくれているようでホッとしている。

 

出来るだけ長く勤めて、自分が今の仕事場に貢献できる日を楽しみにしながら生きていこう。

そしてブログでは自己表現を続けていこう。

 

長らくブログから遠ざかっていたとは言え、時間=面白い記事に直結するわけでは無いことがわかった。

 

つまり今も何も考えずにこのブログを更新している。

 

今回はどういうお題で記事を書いていこうかな。

 

仕事は利用者さんの情報の守秘義務があって駄目だし……

 

昨日息子と貝殻拾いに言った話でも書こうか。

 

息子の保育園は基本的に日曜日が休みで、毎週土曜日が定休日の僕とは休みがかぶることは無いのだが、コロナウィルスが流行している今、少しでも風邪症状がある園児は登校禁止となっている。

 

ウチの息子は一週間ほど前から咳と鼻水が止まらなくて保育園をお休みしていた。

 

熱は出ていなくて基本的に元気だった息子は、風邪症状が治まってきた頃にこう言った。

 

「僕、貝殻を宝物にしたいんだぁ」

 

息子には宝物が沢山ある。

 

園で拾ってきた小さいドングリや綺麗な色の石。

食べたアイスキャンディーの棒等、その種類は多岐にわたり一貫性が無い。

 

でも好きなものを並べたりしている姿を見ていると「自分にもこんな時期あったな」と懐かしい気持ちになれるものだ。

 

だから僕は息子の宝物を増やしてあげたくなって休日に「じゃあ海岸に行ってみる?」と尋ねると息子は二つ返事で「僕、海に行く」と言った。

 

家から30分ほどの距離にある海水浴場を調べて貝殻拾いに出かけた僕と息子。

 

他に持っていった遊び道具に目もくれず籠いっぱいに貝殻を集めた。

 

息子が特に気に入ったのは大きくてキラキラ光る貝殻だ。

 

「これ、僕の宝物にする」

 

そう言って家に持ち帰り、家で砂を落として乾かすと息子の宝物は更にキラキラと輝いていた。

 

僕も長野県出身であまり海に行く機会がなかったので純粋に貝殻拾いを楽しむことができたし、なにより息子の満面の笑みを見ることが出来て大満足な一日だった。

 

僕の宝物は息子だと再認識できる出来事だった。

 

これからも息子は大きくなるにつれて、沢山の宝物を増やしていくだろう。

 

その度に目を輝かせて僕に報告してくれると嬉しいな。

 

そんな風に思うよ。

 

 

 

 

【思考的弱者思考・40】

皆さん、お久しぶり『ドクソ』です。

 

毎日更新するとか意気込みながら、実際には3週間に一度のペースでしか記事をかけていないことに申し訳なさを覚えている。

 

5月から新しい仕事をスタートして約二週間が経過した。

 

慣れない仕事にあたふたしながら躁鬱病を隠すことなく、自分の人から見たら遅すぎるペースで仕事を覚えるように善処している。

 

職場の先輩は恐らく僕のマイペースぶりにヤキモキしていると思われるが、僕なりにできる限り早いペースで仕事を覚えようとはしているので長い目で見ていてほしい(こんなところでつぶやいてもしょうがないけど)

 

別の業種に転職するって大変だよね、今までの人生で覚えてきた事が活かせないことが多いから。

 

僕はもともと頭の回転が早い人間じゃないけど、それでも今までやって来たことが通用しなくて途端に自分が馬鹿になったような感覚に襲われている。

 

今までで「うまく出来たこと」なんて数える程しかないんだけどね。

 

それでも自分なりに仕事を続けていけば、何とかなるような気もしている(あくまで今の職場ではだが)

 

まあこんな調子の良いことを言ってても、多分また自分の使えなさに嫌気が指すことは何度もあるだろうと思うけど。

 

でも今の自分が出来ること以外は無理なんだから、職場の先輩方には迷惑をかけるだろうけどしょうがないと開き直るしかない。

 

ブログを再開したんだからまた期を見て小説なり詩なりを書いていきたいと思う。

 

3週間ほど音沙汰無しで心配をかけた両親やこのブログを読んでくれている読者にはいつも感謝しています。

 

また、これからもどうしようのない僕をよろしくお願いします。

 

今日はここまで。

 

明日と明後日は連休だからまたブログの更新をするね。

 

皆いつも応援してくれてありがとう。

 

おやすみなさい。

 

【夢見が悪い】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

この前新しい職場に今後の打ち合わせに行ったんだけど、たまたま熱が37.5度あって、こんなご時世だからその場で帰らされてしまった(朝に検温していかなかった僕が悪い)

 

それはコロナウィルスが流行っているので仕方のないことなのだが、色んなことが重なって4月から勤め始める時期が二転三転して結局はゴールデンウィーク明けからの勤務になりそうだ。

 

それは置いといてタイトルに話を戻そう。

 

多分打ち合わせが上手くいかない事や、動き出したくても自分の意志だけでは進まない物事に対してストレスが溜まっているんだろうね。

今年の一月からしょっちゅう嫌な夢を見るようになった。

 

学校の下駄箱のような場所に一人どうしていいか分からずに佇む夢、異形の何かに追い回される夢が多いかな。

 

※怖い物(モンスターなど)に追いかけられる夢

この夢を見ている場合、体か精神がとても疲れている状態を示している。

追いかけてくる相手が怖いほど、不安や疲れも大きい。

なお、この夢では不安や疲れが解消される意味もあるので、前向きな気持ちを持ちつつ、休憩を入れることが大事。

 

※知らない場所で迷う、立ち尽くす夢

この夢を見ている場合、自分の無力さを実感して、その先に進めなくなることの暗示となる。

過信してきたスキルが全く通用せずに、打ちひしがれる結果が映し出されている。

能力が及ばないシチュエーションとして、夢の中に知らない場所が出てくる。

どうすればいいのか見当もつかず、立ち止まったままになることが、迷っている状況の中に描き出されている。

原点に返って、一から見直す必要性を暗示されている。

 

僕は普段からこういった夢診断を信じているわけではないんだけど、あまりに頻繁に夢を見るので今回はその夢の意味を深く知ろうと思い少し調べてみた。

 

大いに迷いがあり、自分の中の不安がうまい具合に解消されていないんだろうね。

 

終わってしまった過去のことや、まだ始まりもしてない新しいことに過剰に心配をしてしまうのは昔から変わらないけれど、少しでも自分の生活を前向きに送れるように努力をする必要がありそうだな。

 

「何も始まっていない今の状況」から「今すぐにでも始められる事」を始めることで悪夢にうなされることを回避出来るかもしれないし、ただただ不安を抱えているよりは建設的だと思う。

 

それが自分の為の事なのか、他人の為になることなのかは後から考えれば良いや。

 

【変化の無い日々の中で思う事】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

記事を書けば「イジメ」とか「躁鬱病」とか、自分でも他になんか書くこと無いんかって思えてくるなぁ。

 

転職先に通うのも五月からだし、こんなご時世だから容易に外出も出来ないから日々にあんまりこれといった変化が無いことも原因の一つかもしれない。

 

こういう時にこそ趣味の小説を上げればいいものを、なかなかいいアイデアが降って来ないのでこうして何も考えず更新できるブログを書いているわけである。

 

二週間程ご無沙汰だったこのブログも久しぶりに覗いてみると二人ほど読者が増えていた。毎日更新していた頃は一日五個程更新していたのにも関わらず一人も増えないなんてことがざらにあったのに何とも不思議である。

 

放置しておいたブログのランキングを見ると、最近の記事は全く上位に表示されていなくて、過去の「躁状態」の時にがむしゃらに書いていた記事で埋め尽くされていた。

 

確かにあの頃は今よりも記事に熱量があったもんなぁ。

 

自分の事を疑わず前進できる人は強いってことなのかね。

 

ユーチューバ―なんか見てるとやっぱり「これ、面白いでしょう?」なんて内容のものは見ていて気持ちが冷めるけど「俺はこれが面白いからやってんだ」みたいな動画を見るとこっちまで「あれ?これって面白いのでは?」なんて思えてくるものだ。

 

「自分が好きだからやる」

 

これ以上に自分を突き動かす動機は存在しない。

 

僕のブログもさ、自分が好きだからこうして辞めずに記事を上げているんだろうね。

 

自己表現をしたくてたまらないから続いている。

 

誰が読んでるとか読んでないとかそういうことじゃなくてさ。

 

毎日書き続けて数十年も経てば、いつか何かしらのレスポンスがあるかもしれないなんて小さく期待しながら。

 

少しくらいそんな見返りがあることを信じても良いんじゃないかな。

 

それが自分のモチベーションになっているんだから。

 

こんな僕の日記を誰が必要としているのかは分からないけど。

 

少なくとも今の自分には必要な事なんだろうと思っておくよ。

 

 

【元気さえあれば、人生は明るい】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

躁鬱病患者だ。

 

いや、躁鬱病には完治と言う言葉が当てはまらないから、いまだに躁鬱病の患者なのかもしれない。

 

実は今でも定期的に死にたい気分が襲ってきては僕の思考を支配することがある。

 

僕はもう病気は治ったと思っているのでこの症状は「ただの癖」のようなものだと捉えているのだが、もしかしたらこの悪癖こそが躁鬱病そのものなのかもしれないと考えている。

 

この「死にたい気分」と言うのは、僕が学生時代に受けたイジメが最初の原因で、それから20年近く経とうとしているのにも関わらず僕の事を苦しめてくる。

 

受けたイジメは一般的にありふれた事件だが、それでも僕の心に傷を残すには十分だったんだろう。

 

今の自分なら、あの時の自分にどうやって声を掛けるべきか分かるし、それの回避方法も教えてあげられるけど。

 

そんな「たられば」を並べた所で過去へは戻れないんだから、今現在の自分を強く生きなきゃいけないなと思っている。

 

僕は別にあの時イジメに加担した人たちに復讐したいとは思っていない。

 

ただ、もし今このブログを読んでくれる人たちの中で不当に誰かを傷つけてしまっているようなことがあれば、この文章を読んで考えを改めて欲しいと願っているだけだ。

 

よく聞くじゃん「イジメの加害者はそのうち忘れてしまうけど、被害者はずっと覚えている」って。

 

あれは本当の事なんだなぁと思う。

 

いつまでも引きずっているなんて恥ずかしいし、出来れば被害者側も忘れてしまいたいような記憶なんだけど。

これがなかなかうまくいかない。

 

そう、上手くいかないんだ。

 

一度「強い自己否定」を抱くと、「自分は何をしてもダメな奴」という負のスパイラルから抜け出せなくなる。

 

僕はかつての事を憎む気持ちは無いのだけど、それでも誰かの発言をいちいち意味ありげに受け取っては自己否定に繋げる癖がついてしまった。

 

イジメなんてさ、皆軽い気持ちでやるもんなんだと思うよ。

それこそ被害者の反応が面白いからっていう理由が一番多いんじゃないかな。

 

本当に面白いことってのは誰かを傷つけないユーモアであるべきだから、他人を蔑んだり、または自分を蔑んだりして生まれるもんじゃない。

 

だから僕も自分を否定する癖を矯正して「面白い人間」だと思われたいなんて思って毎日を過ごしている。

 

ツレがうつになりまして」でも言ってたな。

「勇気と元気があれば貧乏でも楽しい日々が送れる、その勇気が持てなかったことが一番悔しかった」みたいなことを。

 

鬱ってのは簡単に言ってしまえば「元気が無くなる病気」で、それ以上でも以下でも無いのだけれど。

 

人間においてその「元気」ってのがどれだけ重要なのか病気を通して思い知らされた気がしたよ。

 

僕はまだまだ上手くいかない事ばっかりだけど、それでも日々元気だけは無くさないように努めていこうと思ってる。

 

元気さえあれば何でもできるんだ。

 

【思考的弱者思考・39】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

以前の記事で6月までに小説を一本書ききると言ったけれど(自分の目標としては10万字~15万時の長編小説)未だに1万2千文字程のどこに着陸するかすら分かっていない文章しか書けていない。

 

しかもこれが全然エンターテイメント性に優れていなくて自分で読み返すも没にする以外はあり得ない程の駄作である。

 

創作物と言うのは「人に見せてみて初めて評価される」ものであり、駄作であっても書き上げないと作者本人の文章が上達しないというのは僕の持論だが、ここまで書いていて手ごたえの無い小説をいつまでもこねくり回していても到底面白い物が出来上がると思えない。

 

まぁプロットも書かずに自分の感覚だよりの書き方をした僕の失敗であるのだが……

 

こういう時、他の小説を書いている人の意見や経験談を聞いてみたくなる。

 

自分の書いているものが信じられない時、もしくは書いている途中で自分の文章の面白さを信じられなくなった時、皆ならどうやってモチベーションを保っていられるのか。

 

本当はそんなこと他人に聞かなくても「熱量の問題」だってのは分かってるんだけどさ。

 

根性論ではなく、どれだけ自分が自分の書いた文章を愛しているか。

 

例え拙くとも「自分の中の世界観を周囲に伝えたい」という気持ちが文章を書く上で最も必要な事なんだろうね。

 

昔、漫画家を目指していた時も同じような感覚によく陥ったな、周囲の人間は僕よりはるかに表現が上手い上に技術の向上に前向きで勤勉だった。

 

そんな人たちが今、プロになって活躍している。

 

漫画にしても小説にしても、またブログにしてもストイックになり切れない僕には本当は創作活動なんて向いていないのかもしれないけど。

どういう訳かこうして文章を書いて自己表現をしている時は幸せを感じられる。

 

特にブログという形式は自分の考えを短い文章で表現できるため、僕に向いていたようだ。

 

それでも前回の記事を書くまで二週間以上間が空いてしまったんだけどね。

 

きっと自分のやっている大抵のことに意味なんかなくて、誰にでも変わりがきくような僕の書いているこの自己満足な文章に必要性も無いのかもしれない。

 

でも、もしかしたら僕がこうして文章を通して考えをどこかの誰かに投げかけていることで「何かの意味」が生まれる日がくるのかもしれないな、なんて思う時もある。

 

ならば波に流されて、どこにたどり着くか分からないボトルメールのような文章を書き続けることも悪くはないのかな。

 

書いて書いて書き続けないと、もし僕の文章を必要としてくれる人が現れた時にちゃんとその人に届かないもんな。