【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

『MONOCHROME』

銃口を向けられた先から溢れ出るモノクローム、あんたに突き刺さった弾痕から何を想像する

 

空想ばっかり並べ立てたって所詮凡庸な毎日から抜け出せるわけもなくて、日々焦燥を駆り立てる世間、世界から伸びる矢印の先にはモノクローム

 

いつ?自分の人生を恨んだのは

 

いつ?あんたのつまらない文言が並び立てられたのは、囃し立てられたのは

 

都合の良い言葉ばっかり、口から出る才色兼備

 

踊り狂うダンサーが表現したいのは苦しみと並行する白線、行き先の決まったアスファルト

 

焼けたその埃っぽい匂いに、酔いしれるのは誰

 

彼等の行き先に文句を付ける上から目線のお調子者の、評判が地に落ちるのは目前だ

 

だから私はそんな言葉を無視し続ける、馬鹿と並んで歩くのは疲弊以外何物でも無いから

 

どうせ私の言葉なんて聞き流されるんでしょう

 

今日も世界は平和なんて、嘘くさい本当に塗れて

 

そうやって毎日を恨んでいる内は、まだ生きてる必要性に疑問を持つことも無いでしょう

 

馬鹿が馬鹿を笑う

 

白黒の世界に立って初めて、揺れる炎の価値が理解できるでしょう

 

心に灯ったそれで火傷すればいい、自分の温度に爛れればいい

 

脚光を浴びた瞬間から溢れ出るモノクローム、あんたに突き刺さった糾弾から何を想像する

 

日常を切り取ったパノラマだって、所詮一定のオーディエンスに成り代わる、日々焦燥を駆り立てる世間、世界から伸びる矢印の先からモノクローム

 

いつ?他人に成り代わったのは

 

いつ?自分の言葉が引用でしか無いのに気づいたのは

 

都合の良い台詞ばっかり、嫌われる八方美人

 

歌い上げるシンガーが表現したいのは楽しみと並行する黒線、無責任な横断歩道

 

焼けたその埃っぽい匂いに、酔いしれるのは誰

 

あんたの行き先を悉く否定する、上から目線のあたしはきっと、許されることは無い

 

だからあんたはそのまま進んでも良い、否定と並んで歩くのは疲れが溜まるだけだから

 

自分が選んだ行き先に、色の無い世界が展開いたとして

 

誰がそれを恨んでいいと言えるのでしょうか?

 

煌めきの中に生まれたあんたには解らない、私の生活はもうずっと色彩が消えてる

 

彩りの中に生まれたはずなのに

 

いつから、いつから、いつから

 

だから私は今日も石油と血の色が判別できないまま

 

そんな世界にしたのは、何者でもない、自分自身だ

 

どうせ私の言葉なんて聞き流されるんでしょう

 

今日も世界は平和なんて、嘘くさい本当に塗れて

 

そうやって毎日を恨んでいる内は、まだ生きてる必要性に疑問を持つことも無いでしょう

 

馬鹿が馬鹿を笑う

 

白黒の世界に立って初めて、揺れる炎の価値が理解できるでしょう

 

心に灯ったそれで火傷すればいい、自分の温度に爛れればいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

『Sense』

結局泣くことも許さなかったなあんたは

 

感情論を否定するその卑怯な手口、あたしの指先から伸びる赤色を無理矢理切り取った

 

虚空に 無駄に響くSOSと 語るのは桃源郷

 

あたしが何も知らないと思って、何も進展しない夢を語るのはもうやめな

 

下らないのは世界なのか自身なのかも区別をつけられない餓鬼のような態度も愛おしかった

 

愛してるって 何度呟いても 届かないや

 

だってあんたは聞く耳を持たなかったでしょう

 

声がしゃがれて塵になったあたしの扁桃腺を、くすぐるのは立てた中指

 

満たされない想いを

 

「こっち側」のあたしにぶつけるのは常套手段

 

くだらないって 暗闇の青に飛び込むあんたを

 

馬鹿にしていいのはあたしだけ なにが綺麗なのかは自分で決める

 

才能がないんだよ 変えたいものが大きすぎてその矮小なセンスでは 何千年かかるだろうね

 

それだけの黒を超えても、結局あんたは身近なあたしの言葉には耳を貸さないんだろうな

 

消えてから 遠のいてから 塗れてから

 

塵の山にあったフレーズを思い出すんだろうね

 

遅いんだよ それじゃ さいなら

 

結局声を、言葉を失ってからあんたは

 

唯物論を語るのその青白い唇が、あたしの胸元に届く前に勢いを失った

 

虚空に 無駄に空回る足取りが 進むは鬼ヶ島

 

あたしがなんでも知ってると思って、ボロボロになった自尊心を尊ぶのはやめな

 

素晴らしいのはあんた自身だって気付かせてやりたいけど空腹さえ満たしてやれなかった

 

愛してる そう何度囁いても 到達しないや

 

誰もあたし達の世界になんて興味がないのよ

 

事切れて灰になったあたしの全身を

 

水で復元しようとする姿は滑稽

 

満たされない想いを

 

「あっち側」の世界に吐き出すのはあんたの悪癖

 

言うのは簡単 靴を丁寧に揃えるあんたを

 

押し出していいのはあたしだけ、誰も本当は綺麗じゃない

 

頭にあるアイデアを形にしたとき 解放された気分になるって よく聞かせてくれた

 

でも今のあんたは、枯れたそれを弄るだけで

 

誰にも聴いてもらえない歌を書いて 徐々に満足から遠ざかる

 

生肉を与えられたハイエナだって

 

もう少しマシなフレーズが思いつくだろうさ

 

青が終わって黒に沈んだとき 新しい灰から

 

塵から 生まれる

 

都合が良いことだって 本当は知ってる

 

才能がないんだよ 変えたいものが大きすぎてその矮小なセンスでは 何千年かかるだろうね

 

それだけの黒を超えても、結局あんたは身近なあたしの言葉には耳を貸さないんだろうな

 

消えてから 遠のいてから 塗れてから

 

塵の山にあったフレーズを思い出すんだろうね

 

遅いんだよ それじゃ さいなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

思考的弱者思考・54

皆さん、いつもありがとう『裏路地ドクソ』です。

 

免許更新に行かなきゃ、面倒くさいな……

 

いきなりネガティブな発言で始まって申し訳ない。

 

今日は暖かくて平和な日だな。毎日がこうだったらいいのに。

 

新しい発見とかもないままに、こうやって記事を更新してるけど(読んでくれてる人を飽きさせないために必死)中々ね、毎日続けるってのはどんなことでも大変だよね。

 

読者さんの数も一向に増える気配はないし、アクティブユーザーの数はもっと少ない。

 

ほんと、名前の通り「裏路地」にあるような日記。

 

それがドクソのブログです。

 

せめて知る人ぞ知る旨い店みたいな売り文句があれば良いんだけど、出てくる料理はゲテモノばっかりみたいな。

 

そろそろ躁鬱病のことを書くのにも限界を感じる今日このごろだ。

 

別にめちゃめちゃ病気について書きたいってわけじゃないけど、このブログを始めた当初は「躁鬱病から回復していくドクソをとくと見よ」って意気込みで始めたから、自分にとっての強みでも弱みでもあるんだろうね。

 

最近読者の方はどんな気持ちで読んでくれたり、スターを付けてくれたりしてるのか……

 

自分で読み返してみても「つまんねー」とか思うし。役立つことも書いてない。

 

おっと、またネガティブに走るところだった……

 

あー、今日はだめだ。

 

言いたいこと何も浮かばない。

 

 

思考的弱者思考・53

皆さん、いつもありがとう『裏路地ドクソ』です。

 

日々が過ぎていく、僕の意思を無視しながら。

 

なんかクリエイティブなことをする気力が沸かないな。それしかできる事ないのに……

 

こうしてブログを書くことはなんとか続けているけど、またいつ活動休止するかわからないし、やる気だけの問題なんだけどその「やる気」ってのが結構な曲者だよね。

 

こうして思考停止してる間にもバイタリティー溢れる若者が僕の姿を追い越していくんだろうななんて思う。

 

まぁ、そんな非生産的なこと言ってても何も始まらないしこの鬱屈した日々が終わるわけでもないんだけどね。

 

自分が自分を見限ったら終わりだよホント。

 

今でも「まだまだ僕はやれるんだ」って思ってる。

 

そう思わなきゃ今までの頑張ってきた自分が可愛そうだし、なんらかの形で「作品」を残したい。

 

自分が今までやってきたことで日の目を見たことなんか無いんだけど、それでも最後の打ち上げ花火を上げるくらい許されてるはずだ。

 

なんてね。

 

この年になると流石に「自分」というものを弁えてくる。

 

そう、僕には才能がない。

 

そして努力も中途半端!!

 

これはさ、逃げじゃなくて。

 

この先作品を書き続けていく自分に言い聞かせていく事実だ。

 

その事実を踏まえた上で「じゃあどうすんの」って話でしかない。

 

僕には辞めるって選択肢はないから。

 

これからも何かしらの創作活動に苦しむんだろう。

 

苦しいなら辞めればいいって言う人もいるかもしれないけどさ。

 

どうせ苦しむなら。

 

楽しく苦しむことを選択していきたいな。

 

じゃあ仕事の休憩時間が終わるからいくね。

 

 

 

 

思考的弱者思考・52

最近、こんなセリフを思い出す。

 

「ストックが無くなってから何を書くのかが大事なんじゃないですか?」

 

どうも『裏路地ドクソ』です。

 

この思考的弱者思考ってのはね、タイトルこそ仰々しい印象を受けるかもしれないけど。要は僕の今考えてることとか感じてることをそのままつらつらと書き綴るための記事であって……とどのつまり何も考えてない阿呆の日記なんだよね。

 

昨日も仕事して、今日も仕事して、そのまま帰って雪印の珈琲一リットル飲んで寝ちゃうような、意志薄弱なダメ人間のさ。

 

でもここで自分がダメな奴なんて書いてても誰の心にも響かないからやめとこっと(もとから誰かの心に響いているかなんて甚だ疑問だが)

 

元々何にも長続きしない僕が約一年の月日を(もっと経過してたっけか?)かけて続けたことって他にあったっけか?

 

漫画はもうちょっと続いたか。でもあれは挫折&復活を繰り返してたからノーカウントだな。担当さんがついて自分の作品にあれこれ言われるのが耐えられなくてドロップアウトしちゃったし。

 

絵を描いたり、小説を書いてみたり、はたまた歌詞を書いてみたり。

 

とりあえず自分の出来るクリエイティブなことは一通り手を出したかもしれないな。

 

それで残ったのがブログって言うプラットフォームだったのか。

 

単なる日記って、しかも日々の想いを綴るだけって!そんでついでに躁鬱病って!誰がそんなメンヘラ相手にしてくれるっていうんだ。

 

あんまりさ、病気のことを自分から言うのって「可哀そうな奴」を演じているようで嫌なんだけど。でもあえて隠すことなく生活していくのは僕が弱者であることを忘れずに自分に言い聞かせる為なんだよな。

 

可哀そうな奴って言うか、頭の弱い奴って思ってくれたらそれが一番正解なのかもしれない。

 

自意識過剰な阿呆(IQたったの90)それが裏路地ドクソなのであります。

 

そんなことは今までの記事を読んでくれている読者の方々が一番よく分かってるか……

 

今日はもうちょっと躁鬱病の話しても良い?

 

僕は確か一昨年に初めて躁鬱病っていう病名がついてさ、でもそれまでうつ状態しか経験したこと無かったもんだから、気分がハイになるってのがどうにも分からなかったんだよね。

 

「いや、躁状態ないやん。僕ってただの鬱病でしょ?」

 

とか思いながら、自宅療養をしてた訳なんだけど。

 

「そうだ、鬱病でいるのに期間を設けてみようかな……」

 

とか考えたら急にグワーって行動力が湧いて来たワケ。

 

その行動力に任せてブログ解説してみたりして「そうだ!病院に通う期限も自分で決めちゃえ」とか思い始めて。

 

気付いたら自分のかかりつけの医師に「躁鬱病完解へのレポート」とか何千字も打ってたりして、そんで提出したりしてさ。

 

良く考えりゃあのグワーっていう意味の分かんないパワーが「躁状態」ってやつだったのかもしれないな。

 

ブログの最初の方の記事読むと文字から伝わる熱量って言うか、空回りしてる感じが伝わると思う。

 

たった一言「僕は今とっても元気」って言えば良い所を、何千字も回り道してそれらしい文章作ってさ。

 

読み返してみると恥ずかしいんだけど、でも折角書いた記事なんで消さずにとっておこうって決めてるんだよね。

 

もしかしたら、これからの人生に役立つかもしれないじゃない?

 

酒の肴にして笑ったりしてもいいし「僕ってこんな素晴らしいこと考えてたんだな」とか自分に心酔してもいいかもしれない。

 

人生ってのは恥ずかしいことの連続なんだな、きっと。

 

いつかこのブログがもっと人目に付くことがあったとして、僕の恥ずかしい記録が拡散されたとして。

 

今はそれで笑ってくれる人がいるんならいっかって思うんだよね。

 

このブログ打ってて、今何となく楽しくて。

 

支離滅裂でも、その気持ちに勝るものなんてないんじゃないかな。

 

これからも僕の徒然なる日常は平凡に、時にエキセントリックに続いていくんだろうけど。

 

そしたら自分の原点でもあるこのブログに立ち返ることにしようかね。

 

数少ない読んでくれてる人達。

 

これからもお付き合いをお願いします。

 

ではではっ。

 

 

 

思考的弱者思考・51

みなさん、いつもありがとう『裏路地ドクソ』です。

 

こうして毎日仕事だけしてさ、毎日が過ぎ去っていくけど。

 

頭の中の自分が「お前本当にそれでいいのか?」なんて囁いてくるよねぇ。

 

本当は、絵を描いたり、小説書いたりして何か現状を打破するべきなんだろうけど。

 

家に帰るとくたくたですぐに寝ちゃったりしてさ。

 

結局僕は楽な方に、楽な方に流される人間なんだろうね。

 

こうしている合間にも考えなきゃいけないこととか、時期が迫ってる事とかあるんだけど、それが先のことだと油断してる所謂「クズ」だよねぇ。

 

出来事に直面してからとか、した後に動き出しても遅いんだっつーのって思うんだけど。

 

この怠惰な身体は動いてくれないわけなのよね。

 

このブログを始めた頃は多少なりとも「ドン底から成り上がってやる!」みたいな期待もあったけど。

 

いや、今もその気持ちはあるんだけど。

 

動かねぇなー身体。

 

なんつってね。

 

今は「こんな駄目な奴もいるので皆さん安心してください」みたいなブログになってるな。

 

それでもいいのかもなんて思う自分もいる。

 

さあ笑え、このポンコツを!!

 

みたいなね。

 

意識高い人から見たら「ドクソ?あぁ、あのなんの生産性もない人間のことね」って言われてるかも。

 

でもね、このブログを再開したってことは、まだ僕の中に燻ってる何かがあるってことなんだろうね。

 

「もう無理です戦えません」とか言いながら、懐に刀を忍ばせて……

 

見つかったが最後「あ、これ介錯用です」って相手に渡してみたりして。

 

へーこらへーこらして世の中を渡っていくヘッポコ侍。

 

それがドクソです。

 

なんかちょっと頑張っただけで皆から認められたいみたいな甘えたこの根性を叩き直したい。

 

無理だっつーの。

 

お前の頑張りなんて生物で言ったらプランクトンみたいなもんで、知らないうちにジンベエザメに飲み込まれて終了みたいなもんなんだから。

 

せめてね、せめて魚になろうよと。

 

人間はハードルが高いから、魚にね。

 

でも動き続けてないと死ぬみたいなことも聞くし、魚は魚で大変なんだね。

 

なんて、考えてる今日このごろです。

 

つまりは。

 

なんにも変わってないってこと!!

 

 

たった一歩で良いんだ。

 

さん、いつもありがとう『裏路地ドクソ』です。

 

最近さぁ、思うんだけど。

 

「あれ?僕って自分が思っている理想の自分とのギャップが凄いんじゃない?」って。

 

親にも言われたことある。

 

「一角の人物にならなくてもいい」って。

 

ずーっとさ、名を上げなくちゃ漢として生きてる意味なんか無いでしょって、心のどこかで思ってたんだよね。

 

でも、思うことがある。

 

「偉人も最初から偉かったわけじゃ無いし、事を起こすタイミングが悪かったならもしかしたらただの変人として終わったのかも」ってね。

 

これは僕が本当は偉いとか、凄い奴だとか、そういう話じゃなくて。

 

「何かを続けていればそれが日の目を見る可能性が誰にでもある」ってことを言いたかった。

 

もちろんさ、こんな弱小ブログを経営してても見る人は限られてるかもしれないよ?

 

でも、多分やらないよりマシなんだよね。

 

今認められてないからって諦めるのは時期尚早かもしれないよ?って話。

 

ツイッターなんか見ててもさ「え?なんでこんな事がバズッてるの?」とかあるじゃない。

 

こんな内容なら自分の方が面白いこと言えるとか思う訳じゃないですか(僕が面白いこと言えるかどうかは置いといて……)

 

でもそれってさ、その人が地道に種を撒いてたからなんだよね。

 

もちろん一発目から超ド級の才能を見せつけてくる人もいるよ?

 

でもさ、ほとんどの人が自分の一歩一歩を踏みしめたり、時には足跡を確認する為に振り向いたりして。合ってるかどうかわからない暗い道筋を信じてきた結果なんじゃないかな?

 

「もう歩けない」とか弱音を吐きながらさ。

 

だから僕もこのどこに終着点を置いてるか分からない雑多な日記ブログを更新してる訳なんだけどね。

 

もしかしたら、自分の書いた記事に誰かが笑ったり、感動してくれてるかもしれないって期待を込めながらさ。

 

いや、思うよ「もう戦えない」って。

 

毎日思ってるよ「死んじゃおう」とかさ。

 

でもさ、それより今を終わらせてしまうのが勿体ないって気持ちを持ってるから生きてるし、こうして記事を書いてる。

 

だーれも笑わなくても、目に留めなくても。

 

僕がここに書き記して来たことは事実として残るんだよね。

 

あー、また良い恰好しいの僕が出てきたな……良くない良くない。

 

結局さ、僕が言いたいのは。

 

準備してきた奴にしかチャンスは来ないぞってこと。

 

そんなこと耳にタコが出来るほど聞かされてきたわって言うかもしれないけどさ、実際その「準備」してる人ってどれだけいるんだろうね。

 

毎日をただ流されて生きてないかい?

 

いや、僕もいろいろ挫けて来てるし偉そうな事何にも言えないけどさ。

 

今日だけ頑張ってみよう。

 

そんで、明日もまたその日だけ頑張ってみよう。

 

疲れたらちょっと休憩しても良いから、またその次の日にでも頑張ろう。

 

躁鬱病でさ「頑張れ」って言葉に敏感になってて。

「これ以上頑張れないのにまだ言うか」って思ったりした時期もあったよ。

 

でもさ、結局何かを残したいのならどんなことにでもそれなりの「苦難」ってやつが訪れるからさ。

 

重い足を持ち上げて、周りから見たら滑稽でも歩いてみようか。

 

まあ、何か月もこのブログを放っておいた僕が言える事でも無いのかもしれないけど。

 

それでも頑張ってるあなたに、この記事が届いたらいいな。

 

頑張れ、あと一歩だけ頑張れってね。