【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考・36】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

明日は遂に今通っている病院とお別れの日だ、紹介状を受け取りに行ってこれからはかつて入院していた家の近所の病院に通うことになる。

 

すんごい長かったな。僕が「もうこの病院には行かない、僕の適応障害は治った」と言いはじめてから二ヶ月間も『躁状態』を疑われ通うことになるとは思わなかった。

 

まぁ、躁状態だけでなく『適応障害』や『鬱病』は治りかけてからの経過観察が一番大事なんだということなんだけど……

現に薬を飲んで気分が落ち着いている今でもふと考えることがある。

 

「僕ってこれから生きてて楽しいことあるの?」

 

この考えこそが病気そのものだって、思い立つまでが長かった。

脳内のセロトニンが足りないとか、テストステロン不足だとか難しいことは分からないが、元来楽しいこととは『自分で生み出す』気分のことで、それに対しての外的要因を探すことがすでにナンセンスだ。

 

「楽しいことは受け身では訪れることは無い、自分が行動した結果に起こり得る結果でしかない。だから悩んでいる人ほど次の行動を起こすべきである」

 

わかってる、わかってはいるんだけど、言葉にするほど簡単じゃない。

だって悩みって基本的に『思考を支配されて身動きできない状態』のことだ。

 

自己啓発本には、そんな身動きできない人に「そんなときこそ新しい行動に出ようよ」なんていう文句が書かれているものばっかりが売られている。

スピリチュアルの本に至っては「貴方のご先祖様の業が、貴方を苦しめているのです。だから神社に行ってお清めをしてくるのです」そしたら人生が今すぐにでも好転し始めるのですみたいな。

 

僕はそんな本を沢山読んできたから分かる、実際そうすること(行動すること)でしか自分が救われないのは重々承知なんだけど、そんなに簡単に自分の考えを割りきれる人間だったら最初から悩んでないし、ましてや適応障害になんて患うわけがない。

 

昔さ、表紙が素敵だなと思って『翻訳できない世界の言葉』っていう本を衝動買いしたんだけどそこに載ってたイディッシュ語の「シュリマズル」って言葉が最近頭をかすめるわけ。

 

※『シュリマズル』【意味・不運としか言いようのない人】

悪いことなど何もしていないのに立て続けに不運が訪れる人のこと。

その解決方法はその不運のカオスを受け入れ抱きしめるか、徹底的に逃げること。

 

みたいな事が書いてあったんだよね。

 

それを見たら「あ、やっぱりどこの国に暮らしていても、受け入れられない悩みからは逃亡するしかないんだ」と思った。

 

僕はこのブログの最初期に自分の逃げ癖のことを『フリーエンシンドローム』なんて名前を付けて客観的にみる練習をしていたんだけど、この逃げ癖があったことで現在の自分が生きてることは否定できない。

 

病気になり自身の逃げ癖を恨み、治りかけて逃げ癖に感謝する。

 

こんなことに意味なんてあるのかどうかは分からないけど、とりあえず病気にならなければ自身の持つ『性質』について考えることもしなかっただろうな。

 

僕もこれからの自分のことは相変わらず不安だけど、きっとどこで何をしていてもこの不安からは逃れられないのだろう。

 

「我悩む、故に我あり」みたいな。

 

不安があってこその自分みたいな、そんなことなんだろうと思う。

多分、今悩んでいる人は皆、この不安を全て手放して自分勝手に生きることを望んでるわけじゃない。

 

その悩みすらも抱え込んで生きていく『強さ』を手に入れたいと願っているんだろう。

 

どうやらそんな『強さ』を手に入れるためには、もっと深く自分のことを追求していく必要があるようなので、弱い人間なりに自分の『悩み』や『出来ないこと』に対して考えつづけることにしよう。

 

多分人生の意味なんて本来は何もなくて、明確な答えを欲しがっている内はまだまだ気持ちのあり方が青いってことなんかね。

 

年齢的にはもう結構なおじさんなんだけどなぁ。

 

 

 

 

【思考的弱者思考・35】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

最近ブログの方向性に悩んでいる僕に妻がアドバイスをくれた。

 

「店だと考えれば良いんだよ、コメントをくれる人やスターをくれる人は常連さん、反応の無い人は新規のお客だと考えれば、私が思うにドクソの店は『高級料理店』じゃなくて『良くて大衆食堂』で、もしかしたら『薄暗くて汚い居酒屋』なのかもしれない。ドクソっていう大将に会いに来ることが目的で出てくる料理やお酒はまずいけど、それが味になってるお店だと考えてブログを更新していけば良いんじゃない?」

 

確かに僕の経営しているブログは【天上天下唯我独尊男】という、どう考えてもまともに食える物が出てくるとは思えないタイトルが付いている。

 

僕がこのブログを始めた時にあった信念『適応障害の患者がどうやって今後を生き抜くのか』という物から一貫性を失い、最近は『見栄えの良い記事』を上げようと四苦八苦しているのが見え見えでみっともないように思えた。

 

「ドクソのブログは汚くても、悩んでても良いの。それを好んで『店』に来ているお客さんがいるんだから。むしろ『薄暗くて汚い居酒屋』がいきなり『タピオカ』とか出し始めたら、その店は進路を見失って、近日中に潰れますって言ってるようなもんじゃん。良いんだよ書きたいこと書いてれば、好きな事書いてれば。格好良いことを書こうとして今までの客をないがしろにすることの方が失礼だし、そもそもドクソのブログは『今苦しんでいることをリアルに伝えること』に意味があるんだから」

 

僕の店にはメニューは無く、その日の大将の作りたい料理と、飲み物も『やっすい芋焼酎』しか置いていないような所だと認識することが出来た。

 

そうだ、信念と一貫性を持っていない物事は、いつか無理がたたって終わりが来る。僕はこのブログで『適応障害患者のリアル』を伝えるんだ。

 

だから僕はこれからもこのブログを通して、支離滅裂な文章を書き続けていくことに決めた。

 

『僕、こんなことに気付いた』なんて記事のあとに『やっぱ無理、毎日しんどい』という記事を上げるかもしれないが、これからもそんな僕の勝手を許してほしい。

 

読者の皆からしたら「この間、前向きな事を言ってたのに……なんだこいつ(笑)」

 

なんて思うかもしれないが、僕は真剣そのものである。

 

人が真剣に生きている姿は、周囲から見たら滑稽な一人芝居なのかもしれない。それでも僕が自分の姿を嘘偽りなく公開していくことが『このブログの価値』なのかもしれないと再認識することが出来た。

 

あー、本当は誰もが羨むように格好良く生きたいなぁ。

 

まぁ、そんなこと無理なんだけどね。

 

【トートバッグと同人誌が届いた!】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

今日は嬉しい報告がある。

 

先月に入稿していた同人誌と、PIXIVFACTORYに注文していたトートバッグが手元に届いた。

 

両方デザインは僕の妻にお願いをして描いてもらった。

 

まずはトートバッグから⬇


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前年、ブログでお互いのイラストを交換しあった「習慣屋のドグマくん」が仮面をつけた僕自身を表すキャラクターを描いてくれた(プロフのイラストです)

 

そのキャラクターを気に入って、妻に「こんなイラストを描いてもらったんだ」と言ったところ、以前ブログに上げたプロフィール画像と、グッズ用にもう一枚イラストを描いてくれた。

 

「妄想をしながら仮面をつけて夜の町をうろつくドクソ」がポップに描かれていて可愛い。

 

右側には僕が絵を描くためのボールペンと、かつて妻が僕を模したウサギのキャラクターが描かれている。

 

これまで僕も沢山の絵を描いてきたが、既存のキャラクターを使ってここまで自分の世界観を描ききることが出来るのは凄いと思うし、尊敬する。

 

それも普段の絵柄ではなくあえて「緩い絵柄」で完成度の高いものを作ってるのにも驚いた。

 

このトートバッグには、小説やブログの執筆用の道具を入れて持ち歩こうと思っている。

 

次は同人誌【ドクソの妄想寓話】だ⬇


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僕が書き下ろした9本のショートショートの内の1本「話しつづける男、聞きつづける女」という話を表紙のイラストにしてもらった(僕のプロフィールから「カクヨム」のサイトに飛んでいただければ読むことができます)

 

この同人誌に関しては「今できる、最大限のクオリティー」の物を作りたいと思ったので、表紙は僕より絵のうまい人に描いてもらいたい、だから僕の周囲で一番絵が上手いと思う妻にイラストを描いてほしいと依頼した。

 

イラストを描いてもらうことを了承してもらった時に完成していた話は4本あり、妻には「どれを描いてくれても良い」と伝えると、一日もしないうちに表紙イラストのラフが完成したと見せてくれた。

 

その時点で一番僕が気に入っている話のイラストだった。

 

本当に驚いた。

 

自分が想像していた完成形に、限りなく近い物が出来上がっていた事実に。

 

僕はその喜びを伝えたくて言葉を絞りだそうとしたんだけどその時は「流石だなぁ」なんて、ありきたりでつまらない感想をいうことしか出来なかった。

 

でも本当に感謝している。

 

僕と共に一つの作品を作ってくれた妻に。

 

「いつか僕の本を出したい」という夢を叶えてくれた。

 

1つの夢を形にしたら、次の夢に向けて歩き出せる。

 

こんなに嬉しい気分になったのは本当に久しぶりだ。

 

この本を出すことになったきっかけをくれた人達、イラストを描いてくれた「ドグマくん」と「妻」、そして印刷所の方々、本当にありがとうございます。

 

この嬉しい気持ちを、少しでも皆さんに還元していけたら嬉しいです。

 

 

 

【ハイパーヨーヨーの想い出】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

うーん、最近なんだか暗い記事が増えてきたなぁ。

 

それだけ現実が差し迫って来てるってことか、まぁ悪いことではないからそんなに身構える必要もないのだが緊張しているのかもしれない。

 

そんな時はいつものようにブログを書いて心を落ち着けるとしよう。

 

僕が小学校の頃「ハイパーヨーヨー」というものが流行っていた。

 

僕も周囲の友達同様、それが欲しくて誕生日に買ってもらったのを覚えてる。

 

僕が買って貰ったのは漫画「超速スピナー」で弁慶というキャラクターが使っていた「ハイパーブレイン」という種類で、ヨーヨーの根本(?)にゴムのリングを挟むことで「ロングスリーパー」という技をすると一定時間で勝手に手元にヨーヨーが戻ってくるという代物だった。

 

ハイパーヨーヨーには沢山の技があり、僕は一番ランクの低いレベルの技しかできなかったが、なんとかループザループまでを極め、非常に満足していた。

 

親にその成果を見せようと、食卓でループザループを披露すると、僕が手放したヨーヨーのストリングスの寿命がきたようでブチッという音を立てながら本体と切り離される。

 

僕の手を離れ飛んでいくヨーヨーの本体、「わー」と叫ぶ兄の声、身構える他の家族。

 

飛び立ったヨーヨーは夕飯の素麺に不時着し、誰も怪我などせずに済んだ。

 

ただその後超怒られて、家の中でのヨーヨーは禁止になったんだけど。

 

僕と同じ世代の人は分かると思うけど、ハイパーヨーヨーのストリングスって結構弱かったよね?

 

それとも僕の使い方が荒かっただけだろうか?

 

【思考的弱者思考・34】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

先に言っておくが、僕は宗教に傾倒しているわけではない。

 

今日は住居から50キロ程離れたところにある、大きな神社にお参りに行ってお守りを買ってきた。

 

僕は信心深いわけではないし、お正月でも初詣に行かないくらいそういったことには無頓着だ。

 

しかし、適応障害になってから「あぁそうか、人間には努力だけではどうしようもない問題が常に付き纏うのだな」と考えるようになり、そんな自分の能力だけでは足りない「運」の部分を補うために以前より頻繁に神社に通うようになった。

 

「ここまではなんとか努力したので、あとはどうかよろしくお願いします」

 

このくらいの事を頼んでおけば、たとえその後に願いが叶わなかったとしても、きっと自分の能力を出しきっていなかったのだろうなと思える。

 

こういう時にだけ神様に頼るのも少し気が引けるので、以前より少しお賽銭の額を上げてお参りしている(それでも微々たるものだが)

 

僕が今回お参りをした神社に祭られている神様は「大国主(オオクニヌシ)」という縁結びの神様で、有名な出雲大社に祭られている神様と同じ。

 

何に対しても「縁」というものは大事だと思い、少し遠くの神社まで赴いた。

 

僕はかつては人知の及ばない大きな力を少なからず信じていたが、病気をしてからというもの以前より現物主義になっていしまい、目に見えないものを信じることが難しい。

 

適応障害で苦しんだ時に「自分の生きている責任は、自分で果たすしかない」という考えに至ったためである。

 

でも、初詣にも行かなかったような僕が、時間があったら神社に赴くようになったというのはなんとも不思議な気分だ。

 

神様に失礼にならないように、少しだけ身ぎれいな格好をして行くようにもしている。

 

今の僕はきっと、以前の頼りきったお願いごとをしていた時より「神様」という存在を信じているのかもしれない。

 

これからも自分ができる限り努力をしたら、「運」の後押しをしてもらうために神社に向かおう。

 

この世界で生きるというのは、きっと合理的な考え方で片付けられないことを受け入れて生きていくということだと思うから。


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【思考的弱者思考・33】

 皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

いやー、過去の記事を見返していくと「暗い記事」だったり「突然前向き」な記事だったり僕の情緒不安定な記事が羅列しているなと思う。

 

なんでこんなポンポンのポンコツである僕が「他人を救いたい」なんて偉そうなことを言いながら過去の辛い出来事を書いては「こんな僕だって懸命に生きてるよ」なんて言ってみたりしている文章を読んでいると「いや、お前人に偉そうに講釈垂れる前に自分のどうしようもない人生なんとかしろよ」って思う。

 

過去の、ブログを書き始めるずっと前の僕は「自分は世界で一番最低な人間で、どんな凶悪犯罪を起こした人でも僕よりは生きている価値がある」なんて周囲に吹聴していたらしいから(全然覚えてなかったけど)自分をどれだけ特別扱いしていたのか……

 

でもよく考えたらこのブログは【天上天下唯我独尊男ドクソ】なわけだから、最も偉い男が自分の事を棚に上げて、下々に向かって偉そうな意見を言うことは、ブログを立ち上げた時から何となく分かってたってことだ。

 

そんなわけでいつものように、誰に届いているかも分からない「偉そうな講釈」を今日も綴っていこうと思う。

 

今日は生きるための無駄なこだわりについて話していこうと思う。

いきなりちょっと言葉を間違えた。

「生きる為にこだわりなんかなくて良いよ」ってことを言いたかったんだ。

 

上記したように僕は自分のことを特別扱いしがちな人間で、沢山の物事に対して強い固執や執着を持っていた。

 

今はもうそんなこだわりが馬鹿馬鹿しく思えて、続けている事なんてないのだけれど。

 

何というか「自分の能力以上の物事を成し遂げてやる」みたいな気持ちを持ってた。

それに見合う努力をしていたのかは甚だ疑問だけど。

 

それで一日の終わりに勝手に凹んだりしてたな「あぁ、今日も無駄に過ごしてしまった……よし!でも明日からだ、明日から筋トレするぞ!」なんて言いながらその筋トレも一日で辞めちゃったりしてて、またその日の夜に「あぁ、全然続かないじゃん。というかこんな事やってて本当に意味なんかあるんだろうか?」みたいに自分に言い訳しまくってた。

 

今思えば、なんで漫画家目指している奴が筋トレしているのか意味不明なんだけど、この頃の僕は「カッコいい人間になりたい」みたいなフワフワした理想像を掲げて生きていたような気がする。

 

そのカッコいい人間てのが誰目線の意見なのかはっきりしないのだが、「なんとなくカッコいい」みたいな変なこだわりを持っている人間、皆ならどう思う?

 

僕はめちゃくちゃカッコ悪いんじゃないかと思う。

 

逆に言えばどんな趣味や仕事でも、ちゃんとした信念があって続けている人はカッコいい。

 

ただなんとなく、筋肉があると女の子にモテるかもだとか、そういう「単なるメディアの情報なんかに踊らされている人間」が一番ダサい。

 

今の僕が考えるのを嫌悪する程、過去の僕は「なんとなくのこだわりを振りかざすどうしようもない人間」であり、思い出すのも恥ずかしい黒歴史だ。

 

ユーチューブでたまに「一週間このサプリを飲み続ければ、筋肉バッキバキで女の子にモッテモテ」みたいな広告が流れてくる。

「あんな薬誰が好んで買うんだろう?」なんて思いながら見ているが、僕だよ僕、過去の僕が買うんだよ。

 

話が逸れたけど、今回は「こだわりなんかいらない」ってことを言おうと思ってたんだった。

 

もちろんそれが楽しいなら無理に辞めることはないし、こだわりを貫いて生きている人はカッコいい。

 

でも最近それは「本当に特別な人に許された領域」だと考えるようになった。

 

「自分が弱い人間」だと理解した日から、「自分が特別では無い」と知った日から。

 

そんな「一流」みたいな生き方は出来ないんだなと思った。

 

そして僕の豆腐のメンタルでは、そこに行きつく前に心が潰れてしまうな。

 

そう思ったんです。

 

「他の誰か」がカッコいいかどうかは、別に自分がカッコ悪いことに通じないし、自分のことをないがしろにしている。

 

ただ生きているだけで色んなしがらみがあるとは思うんだけど、結局自分じゃない何かの要因が絡んだことは続けるのが難しいんだよ。

 

自分自身で生き方の答えを出す。妙な「外的要因のこだわり」なんか捨てて本当に自分が生きたいように生きるということが、そう思ってブレない心を持つことが大事なんじゃないかなと思う。

 

これからも偉そうな事を言うかもしれないけど、僕にはこうする事しか出来ないから、このままの僕を応援してくれるとありがたいです。