【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考③】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

最近は「負け犬」から「濡れ犬」くらいにはなってきたのかななんて、勝手に思っている。

 

犬が濡れた時強烈な匂いを発するのは別に不潔だからではなく、体毛や皮膚に潜む酵母バクテリアが空気中に揮発してあの特有な匂いを発するんだ。

 

いや、別に犬の話をしたいんじゃない。

 

これと言って話のテーマも決めていない。

 

第三回目になったこの【思考的弱者思考】は今の僕がどんな事を考えていて、これから自分の弱点を世間に晒しながらどう生きていこうか考える為の記事であり、読者の方々を置いてきぼりにしていってしまうのが非常に心苦しい。

 

だが、不思議と僕の注目記事のランキングを見ていると【思考的弱者思考】は何故か、いつも上位に入っている。

 

誠に遺憾である。

 

相変わらず、僕は思考的弱者だ、これは自己否定ではなく厳然とした事実である。

 

自分の人間性で数々の人々に迷惑をかけてきた、仕事しかり人間関係でもだ。

そのことは深く反省している。

 

だが反省と言うのは、次に生かせなければただの後悔であり、それはただの貴重な時間の浪費だと思っている。

 

そんな自責の念にいつまでも囚われたままでは、いつまで経っても恩返しや貢献など出来るはずもない。

 

自分で業を背負うのは結構な事だが、それを他人に押し付けるようなら失敗をしてきた今までの自分を晒した挙句に、余計な物を相手にも抱え込ませてしまうので、少しも建設的じゃない。

 

だが、はっきり言って、そんなこと誰でも知ってるし聞き飽きている。

 

「あー、やっちゃった」で済まない事もある。

 

「嘘つきは泥棒の始まり」「馬鹿につける薬はない」「明日やろうは馬鹿やろう」「後悔先に立たず」「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」「後の祭り」「案じるより団子汁」「酔いて狂言、醒めて後悔」「臍を噛む」「流水源に返らず」「礼に始まり、乱に終わる」「割安に買いなし」

 

これ全部僕の事だ、本当に救いようがない阿呆だな。

 

折角、生きていこうと決めたのに余計な感情ばっかり思い浮かべて、何考えてたんだろ?

過去に戻って聞いてみたいよほんとに。

 

役に立たない感情をいっぱい抱えて、人に見せつけてたんだろうなぁ、自分で考えても本当に気色悪いよ。

周囲の人は優しいよな、こんなキショイ人間でも受け入れてくれていたんだから。

僕もこれから沢山の人に出会うだろうから、精一杯それを磨いておくしかないのか、それでも汚かったら、その時はその時だ。

 

皆、凄いよなあ、だって悩みはあるし日々傷つくこともあるだろうにそれをおくびにも出さないんだもんな・・・

 

どんなメンタルしてるんだろうか、それとも僕のメンタルが豆腐なだけなのか興味が尽きないよ。

 

世間では意識高い系とか呼ばれてる人達が羨ましいよ、何であんなに手放しで自分の事を信じ切っていられるのか分からない。

 

ポジティブシンキングどころかラショラルシンキングで精いっぱいだよ僕は。

 

まぁ、僕は【天上天下唯我独尊男】だから「意識高い系」とはまた差別化された「自意識高い系」の人間なんだろうとは自覚してる。

 

世の中には「この親にして、この子あり」なんて言葉があるけど、僕も認める識者である親からどうやって、このポンポンのポンコツが産まれたのかが謎でしょうがない。

 

誠に不可思議だ。

 

「醜いアヒルの子」という童話があるけどそれなんじゃないか?しかしあれは大人になって自分が美しい白鳥であることが分かるから少し違うな。

 

僕は所謂完璧主義者だったんだろうと思う、言葉だけ見ると何となく格好が良いように思えるのだが、要は自分が物事を立派に遂行することが出来ないと言い訳を繰り返し、必ず自分が行わなければいけない責任があるものに対しても、だらだらと先延ばしにして低クオリティなものしか作り上げない生産性のない人間だったんだもんなぁ。

 

一応現在では自分なりにやれることは小さなことでも全力で行うことにしているが、何となく自分で「今さら何張り切っちゃってんの」みたいなことを考えなくもない。

しかし現状を良くするためにはそれしか思い浮かばないので、どんな泥水を啜っても笑って生きる事を信条としている。

 

笑われる人間から、笑わせる人間になりたいと日々試行錯誤を繰り返している。

 

よく「人生で遅すぎることは無い」という言葉を耳にするから、それを信じて前に進む事だけを考えよう、それで実行しよう。

 

僕でも「今更」なんて思うことがあるんだ、周囲の人はもっと「今更」って思ってるかもしれない、だがそれを理由に言い訳を続けてるようじゃ元の木阿弥なんだよな、カーネル・サンダースだって65歳でケンタッキーを創業しているわけだし、結果が出るのが没後の表現者なんていっぱいいるんだから。

 

自分にも他人にも失望されるってことはきっと、自分が何かに対して挑戦をしなかったことに対してのガッカリ感が大きいからなんだと思うことにする。

 

何の作品だったか忘れちゃったけど自分がやってることに自信が持てない時、意味がないんじゃないかって思ったときに「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」なんて台詞があった気がする。

 

昔はこの言葉が、キツイ言葉だと思ってたけど今思えば結構な励ましの言葉に感じるな。

意味ないって決めつけて、何かを始めるのを阻害するのはいつも自分自身だし、そこで思考停止してたら何にも始まらないと今は考えている。

 

僕は今まで他人の評価で自分を決めつけて、その低い評価に絶望していたけどもしかしたらその中には叱咤激励の言葉をはき違えてしまったものも多かった気がする。

 

人の話を聞く人間にはなる、でも物分かりの良い人間にはならないようにしよう、それは結局自分を諦める事に他ならないんだから。

 

「人」という漢字は、人と人が支え合っているというように、人生は自分ひとりの力では弱すぎる、成し遂げたい目的を見据えた時には、必ず誰かの手を借りなきゃいけない時もある。

でも決して自分一人で立つことを辞めてはいけない、他人任せじゃ立っていられないんだから。

 

誰かの力を借りて、自分の足で立って生きていく。

 

思考的弱者でも、まだ生き抜く術はあるはずだ、その為に決して思考を止めるな、一生考え続けろ、そしたら少しは今抱えている不安も軽くなるだろう。