【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【一か月の目標20冊達成】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

今日でブログを書き始めて31日目、当初の目標であった「一か月に本を20冊読む」という目標を達成した。

 

初めに手に取ったのは「傷つかない方法」で最後に読んだのは「仏教の教え」の本だ。

 

それだけ見ると、精神的にアプローチするような本しか読んでいないように思えるが、僕はその間に「物語の作り方」や「ヘレンケラーに関する本」、黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」等も読んだ。

 

生きる為の技術が載っている本の他にエッセイや一般的な小説、物語を書くための学術書を捲っていると、すべて同じ部分が存在している。

 

それは人間の「観察眼」の話だ。

 

小説やエッセイでは、その主人公が運命を生き抜いた術を、学術書では自分が操る架空の人間の言葉を伝える術を書いている。

 

どの人物も自分が置かれた状況に落胆する事もあるが、その事象を的確に見る「眼」を持っていることが分かる。

 

これは文章を読む者も、書く者も同じ、如何にして物語を読み解くかという技術の現われなんだろう。

 

「つまんない」と本を読み捨てる人がいる。

 

それは「読む人間の観察眼が弱いからつまらないと感じる」のであって、世の中に出版されている本はすべて有益だ。

 

「自分がつまらない人間だから、その本の有益な情報を読み取ることが出来ない」

 

そういう事なんだろう。

 

本というのは表現のプロである人間の作品を、高学歴な編集者が添削して初めて書籍として発売される。

 

そこには「人の想い」と「厳正なる目」と「利益性」が絡んでくる。

売れない本などわざわざ出そうという出版社は存在しない。

 

マチュアが書いた本にだって「その人の想いは」載っている。

 

ストーリーや世界観、キャラクターに感情移入出来ないものだって、その中にはあるだろう。

 

しかし、それをつまらないと切り捨ててしまうのは作者に失礼である。

 

編集者等の立場にいる人は、時にその言葉を使うこともあるだろう。

しかしそれは作者に「お前はもっと面白いものが書ける」という叱咤激励の言葉ではないかと僕はそう考えている。

 

どんな小さな子供が描いた拙い絵にだって、その子の人生の経験が乗っかっている。

 

それをどうして「つまらない」と言えようか。

 

自分が知性溢れる人間になれば、自分の生活に関わる物事に対して「楽しい」や「嬉しい」と思える事で溢れているはずだ。

 

僕は思考的弱者であるが、そういう人間になりたいと強く思っている。