【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考⑫】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

今日は半休みたいなもんだった。

 

午前中に用事を済ませ、午後に1本記事を書いて、昼食がてら外に出た。

LOFTで来年のスケジュール帳と新しいボールペンを買う。

 

調子の悪かったスマホも機種変更したし、新しい生活に向けての僕の身支度は大分整ってきた。

 

僕の適応障害は治ってきた。個人的に言えばもう寛解していると思っている。

だが、こういった精神病と言うのは「元気になった」から終わりではなく、医師や家族の判断に委ねられる部分も大きい。

 

僕は10月末に自分の思考を取り戻し始めてそろそろ2か月が経過する。

躁状態」というのはどうやら2か月間続くことは無いらしいので、次の通院で「治った」とお墨付きを頂けると嬉しいのだが、先の事はまだ明確には分からない。

 

少し昔のことを振り返ってみようと思った。

 

僕は外的要因のストレスを感じ、それを発散出来なかった期間が長く続いたから病気になった。

情緒不安定になってからも病院と職場に行き来する日々が2年ほど続いた。

 

職場では感情が高ぶって、その度迷惑をかけて謝罪するという悪循環。

家では動く気力もなく気を紛らわすためにゲームをしているか、もしくはパソコンで「人生に疲れた」とか「死にたい」とか「自殺方法、迷惑かけない」と検索していた。

 

僕が思考を取り戻してから2か月が経過して、心配してくれた家族や、沢山の人に挨拶して回っている時自分の口から出た言葉が気になった。

 

「僕、何にそんなに執着していたのか覚えてないんです」

 

本当に覚えていない。

 

家族は「それで良いんじゃない、多分今のドクソには昔に悩んでた事の意味が理解できなくなったんだと思う」と話してくれた。

「死にたい」と思うほどの悩みが、僕の中で「取るに足らない事」になっていた。

 

悩みや不安はよく思い出せないが、過去の僕の人間性から推察していこうと思う。

 

僕はこのブログの管理人【天上天下唯我独尊男】の『ドクソ』だ。

この名前の由来は、僕が潜在的に誰よりも偉いと思い込んでいたことに由来する。

 

もちろん、過去の僕はそんな事に気づいていなかった。

自分なりに表面上は物腰柔らかいような人間を演じていたような気がする。

 

「偉い」ということは「場を支配」しようとしていたんだろう、僕より立場が高い人間はいてはいけないという妄想を具現化することを行動基準にしていたのだろうか?

 

それも少し違うような気がする。

 

昔の僕の発言から考えていくと「僕より下の人間は存在しない」とよく触れ回っていたような気がする。

この発言から推察するに、僕は様々な責任から逃げ回る為に、自分を一番下において他人に依存することの味を占めていたような気がする。

そして「一番下である自分より、出来ない人間」に対しては寛容さの欠片もない対応をとってきたに違いない。

 

僕はきっと線引きをしたんだ「僕より色んなことが出来る人間には媚びる」そして「僕より色んなことが出来ない人間は見下す」という基準を定めてきたようだ。

 

この方法は最低だ、出来ない人間はもちろん、出来る人間ですら僕の前で少しの隙も見せられないだろう。

 

基準を作った僕が「自分より出来ない」という烙印を押せば、僕はそんな人間を切り捨ててきたんだから。

 

今思うと本当に「愚か者」以外の言葉が思いつかない。

 

恐らくだが、自分より高いレベルの人間達に囲まれたことで、僕が見下してきた人間が誰もいない状況になった時に「偉ぶる」ことが出来ない環境が僕の感情や行動を暴走させたんだろう。

 

考えられない程「横暴で傲慢」だったに違いない。

その上仕事も出来なけりゃ、それは早かれ遅かれ「僕のちっぽけな価値」なんて崩れ去っていただろう。

 

今は変わったとは言えないが、数なくとも「一番下に甘んじている自分」から「一番下から始める自分」という意識を持っている。

 

下を見るんじゃなくて、上を向いているように思う。

 

覚えてもいない執着には何の価値も無いことは知っているが、「過去の横暴」が傷つけてきた人は数知れずだ。

 

僕がここで偉そうに講釈垂れているのを知人が知ったら「お前が言うかそれ」と突っ込みの嵐が巻き起こるだろう。

 

でもしょうがないや、過去の事は変えられないから。

今から先に進む事しか出来ないから。

 

少なくとも今の僕は過去の僕より最低じゃないような気がしている。

 

これからは沢山の人の話に耳を傾けて、その人から何か一つでも自分の為になる話を聞き出していきたい。

 

小さい子供だって、僕より豊かな感情を持っている。

それを汲み取れないのは、僕の考えが至らないだけなんだろうと考えている。

 

これからは、多くの人に触れて、感動を共有していきたいと心から思っている。