【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【リスペクト】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

毎回偉そうに「思考」の話をしている僕だが、本当に大事なのは「行動」である。

 

思考は所詮個人の域を出ないものであり、人間関係に置いて「自己完結型」の人間は嫌われることも多いように思う。

人は、自分の事を聞いてもらいたい生き物であり、他人の話は基本的には聞きたくないということをどこかの本で読んだことがある。

 

「聞く」というのは、相手を承認し肯定する気持ちの表れであり、こちらが相手に対してリスペクトの気持ちを持っているという意思表示でもある。

 

僕が【思考的弱者思考】の持ち主なのは、この「聞く」力が低いことが原因だと言っても過言ではない。

 

こんな事を以前の記事でも書いただろうか、しかし僕は何度でも言い続けることにする。

人の話を聞く方法さえ手に入れる事が出来れば、人間の悩み事は殆ど解決に向かうような気がしているからだ。

 

昔も今も僕は、受動的な人間であり自ら進んで人に「質問」することが苦手である。

能動的に話を聞いて、それに言葉を返すことは出来るのだが、相手に会話の提供をする力が弱い。

 

つまり僕は「説明」や「理解」を超えて、会話の中に「感動」を見つけるのが下手くそだと言える。

 

「そんな日常的な会話の中で感動なんか、そうそうするもんじゃない」

 

僕が毎度「感動」を与えたいという発言をしたときに知人から返ってきた言葉だ。

 

別に僕は、毎回の会話で人を「泣かせたい」わけでも、無理やり「笑わせたい」わけでも無い。

ほんの少しでも話の中に「共感」を与える要素が合って相手を「安心」させられるものであれば良いと思っている。

 

過去の記事で「聞くことと安心感」という文章を書いたが、自分と相手が心を開ききった時初めて、その関係性に安心感を得ることが出来る。

 

手放しで相手の事を信頼するというのはとても難しい、人は誰もが失敗することがあり、リスクヘッジを忘れては必要以上に物事に対して傷ついてしまう可能性があるからだ。

 

僕が目指す人間関係は「リスクを共有出来る関係性」だ。

無意識でもチームの中で目指すべき目的が合致した時には、一人では到底たどり着けない領域まで行くことが出来ると信じている。

 

僕は過去に沢山の人の期待を裏切って生きてきた。

そんな僕がこのブログでこんな事を言うのは、おこがましい事なのかもしれないけど、それでもこれから先の人生で人々が僕と関わることで安心感を感じられるような人間になりたいと強く願っている。