【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【不幸の定義と恐怖の感情】

 

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

僕は今では「適応障害」という病気を患っていることになっているが、体調が優れなくなった当初の病名は「躁鬱病」と「PTSD」だった。

 

躁鬱病は気分の上下が激しく、自分の感情や思考をコントロール出来なくなる精神病だ。

 

PTSDとは過去の精神的負担があった出来事のイメージが不定期に襲い来る精神病のことだ。

 

僕は自分で「寛解」の宣言をしているが、医師にはまだ経過を見られている状態で、謂れのない不安が襲ってくることもある。

 

過去の恐ろしい出来事というのはもう解消されているように思うのだが、過去に僕を傷つけた相手に対しては未だに良いイメージが持てないでいる。

 

過去の「固執」や「執着」を半ば手放すことが出来ているように思うが、これは単純にその相手に「恐怖」を感じているということなんだろう。

 

一度感じた恐怖を拭い去るのはとても難しい。

そのために自分のマイナスの感情をチャンクダウン(細かく砕く)して、その経験を外的要因に求めずに「自分の責任」として問題解決に励んでいるのだが、まだ思考は古い情報に支配され、それに対して健康的な思考が働かない自分がいる。

 

そうした忘れがたいイメージを払拭する方法は自身の「楽しい経験」が必要になってくるように思う。

 

過去の怖い経験を「幸せな記憶」で駆逐する。

「過去の楽しい経験」と自身の「これから」を想像することで無駄な感情の消費を抑える事が出来ることに気がついた。

 

【人感万事塞翁が馬】と言うように、人生に於いて楽しいことと不幸なことは不定期に訪れ、それに一喜一憂することは良くない。

 

だからこそ、自分の「不幸の定義」をはっきりさせておくことで心の許容範囲を知ることが出来る。

 

自分にとっての不幸が「死ぬこと」だったら、それ以外のことで不幸になる必要が無いように思う。

 

不幸になっていない自分を知ることが、自身の幸福度を図る目安になってくる。