【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【わからないことがわからない人へ】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

皆さんはこう思ったことがあるだろうか?

 

「わからないことがわからない」

 

過去の僕、いや、今の僕も結構この言葉を使って色んなことから目を逸らして生きているように思う。

学生時代の勉強もそうだし、社会人になってからも「自分の何が悪いのかわからない」という思考パターンを持っていた。

 

趣味も絵を描いたり、歌を書いてみたりと自己完結するようなものが多かったし、人見知りでもあったため、周囲から浮いた存在だと疎まれることも多かったな。

 

そもそも「なにがわからないのかわかる」ような人間は周囲に溶け込んでいるし、どこでも上手くやっていけるものだ。

 

自分と周囲の世界の不和を感じながら生きていくというのは少なからず苦しい。

 

僕は今になってようやく「自分が如何に普通の人間」かを理解しているけど、何歳になっても「自分という特別な存在」という考えを持っている人は以外と多い。

 

自分を特別扱いしている人間ほど「当たり前」とか「常識」とか「特別」とか、そういう言葉を振りかざす。

 

それは相手を無理矢理「皆とは違う存在」だと認識させる言葉だ。

 

僕はあくまで「普通」の人間であり、沢山のしがらみや、わからないことに対して葛藤している。

 

何処かの記事で読んだことがあるが、精神的に病む人間は「100か0か」という極端な考えを持っていて「グレーゾーン」を許せない人間に多いという。

 

でも考えてもみなよ「今自分が生きている理由もわからない」のに万物に理由を求めるなんておこがましいことだと思わないか?

 

「わからないことがわからない」ならその問題を棚上げしておいて良いんだ。

 

いつかわかるその日まで。

 

死ぬ間際になって「やっぱりわからなかった」と思っても、それが遺言になったら結構格好良いと思うんだよね。

 

「我考えに及ばず」

 

みたいなね。なんだか偉人の言葉みたいじゃない?

 

今何かの問題に直面していて苦しい人は、一回それが今本当に自分が悩むべきことなのかをしっかりと考えてみるといい。

意外と早急に解決しなきゃいけない問題も、自分一人で解かなきゃいけない難問も少ないことに気がつくと思う。

 

「わからないことはわからなくても良い」

 

どうしても知りたかったら、他人に聞くなり、ネットで調べるなりするだろうさ。

 

その問題で悩むこと自体が目的になっているかもしれない。

 

一向にわからない問題というのは、多分、今の自分の生活に関係ない問題だと思うんだよね。

 

いったんそんな不毛な考えは捨てちゃえ、大丈夫だよ、人間の頭はパソコンと同じで、一回ごみ箱に入れたとしてもデータは残ってるもんなんだから。

 

そしてふとしたときに「あれ?これってあの問題の答えじゃない?」なんて思う日がくる。

 

そんな時は、自分の人生の課題が一つ解き終わったって素直に喜べば良いと思う。

 

僕も毎日不毛な考えが頭をぐるぐると巡っているが、そんな思考を「悩み」にまで昇華させないための思考法を勉強している最中である。

 

何か有益な方法が思い浮かんだら、それをこのブログで皆と共有できたら嬉しい。