【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【地獄は何処】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

僕の知人がいつか言っていた。

 

「本当に地獄が存在するというなら、今生きてるこの世界が地獄なんじゃないか」 

 

その人は僕の尊敬する人で、そんな想いを持っていたとしても、今やるべき責任を放棄するような人じゃない。

むしろ人間としてとても健康的に、生産的に生きている素晴らしい人だ。

 

そんな知人だからこそ、この言葉に意味があると考えた。

 

僕は過去、適応障害に苦しんでいる時、この世の中全てを恨むように生活していた。 

 

何故こんなことになったんだろう、何故自分なんだろう、何故今なんだろう。

 

そんな「何故」」を沢山並べて、自分が飽きるまで毎日不毛な自問自答を繰り返したのを覚えている。

その時の僕がもし知人の「地獄」という言葉を聞いていたなら、きっと手放しで同意しただろう。だって世の中全てが自分の敵なんだから、そんな世界は地獄以外の何物でもないって言ってたに違いない。

 

しかし、今の僕は少し違う。

 

日常の中で、出来ない事は諦めながらも、小さな幸せを見つけて生きている。

もちろん失ったものも多かったが、一度病気で死にかけた僕は「あ、なんだ、自分が固執していた事、意地を張ってたことを捨てても死にゃしないんだ」ということに気が付いた。

 

他人から見ればそんな達観したような生き方が嫌だという人もいるだろうし、まだまだ自分を見限りたくない人もいる。当り前だ、できれば僕だって「いつまでも自分の万能感を肯定しながら」生きていきたかった。

 

話を知人に戻す。

 

この世を「地獄」だと形容した知人は、僕から見れば「自立した、とても立派な大人」である。

そんな人でもこの世の中を多少は否定しなければやっていけない。人生とは苦しみの連続である、ということなのかもしれない。

 

過去に多くの苦労をしてきただろうに、そんなことを事も無げに語る知人はとても凄い。

 

僕は自分の出来ない事に見切りをつけて生きていくことを選んだが、そんなことを言ってられないような立場の人は沢山いて、毎日苦しんで生活している。

 

きっと、僕は運が良かったんだ。

 

今まで積み上げてきたものに「無駄」が多かったから、それを崩してもう一度最初から自分の人生を作り上げることが出来る。

 

今まで生きてきた人生を笑い飛ばすことが出来る。

 

でも、周囲の期待も背負いながら精一杯頑張ろうとしている人を見ると「良いなぁ」なんて思う事もある。

 

僕はもうその土俵から降りてしまった為に、他人に期待されるようなこともない。

でもそれを間違った選択だとは思っていない、だってそれが僕の「生き抜くための処世術」だったんだから。

 

知人は「沢山の期待」を背負って今日も生きる。

 

僕はそんな知人を羨ましそうに眺めながら蚊帳の外で「頑張れ」って応援してる。

 

それぞれの価値観があって、何を「地獄」だと思うのかは人それぞれだけど。

 

僕にとっての地獄は、また人生という土俵の上に無理やり引っ張り上げられることかな。

 

僕はもう、人と対決するのは懲り懲りだ。

 

場外反則負けでも良いから、フィールドで戦っている選手たちのことを、真っ当に応援してこれからを過ごすとしよう。