【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考・33】

 皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

いやー、過去の記事を見返していくと「暗い記事」だったり「突然前向き」な記事だったり僕の情緒不安定な記事が羅列しているなと思う。

 

なんでこんなポンポンのポンコツである僕が「他人を救いたい」なんて偉そうなことを言いながら過去の辛い出来事を書いては「こんな僕だって懸命に生きてるよ」なんて言ってみたりしている文章を読んでいると「いや、お前人に偉そうに講釈垂れる前に自分のどうしようもない人生なんとかしろよ」って思う。

 

過去の、ブログを書き始めるずっと前の僕は「自分は世界で一番最低な人間で、どんな凶悪犯罪を起こした人でも僕よりは生きている価値がある」なんて周囲に吹聴していたらしいから(全然覚えてなかったけど)自分をどれだけ特別扱いしていたのか……

 

でもよく考えたらこのブログは【天上天下唯我独尊男ドクソ】なわけだから、最も偉い男が自分の事を棚に上げて、下々に向かって偉そうな意見を言うことは、ブログを立ち上げた時から何となく分かってたってことだ。

 

そんなわけでいつものように、誰に届いているかも分からない「偉そうな講釈」を今日も綴っていこうと思う。

 

今日は生きるための無駄なこだわりについて話していこうと思う。

いきなりちょっと言葉を間違えた。

「生きる為にこだわりなんかなくて良いよ」ってことを言いたかったんだ。

 

上記したように僕は自分のことを特別扱いしがちな人間で、沢山の物事に対して強い固執や執着を持っていた。

 

今はもうそんなこだわりが馬鹿馬鹿しく思えて、続けている事なんてないのだけれど。

 

何というか「自分の能力以上の物事を成し遂げてやる」みたいな気持ちを持ってた。

それに見合う努力をしていたのかは甚だ疑問だけど。

 

それで一日の終わりに勝手に凹んだりしてたな「あぁ、今日も無駄に過ごしてしまった……よし!でも明日からだ、明日から筋トレするぞ!」なんて言いながらその筋トレも一日で辞めちゃったりしてて、またその日の夜に「あぁ、全然続かないじゃん。というかこんな事やってて本当に意味なんかあるんだろうか?」みたいに自分に言い訳しまくってた。

 

今思えば、なんで漫画家目指している奴が筋トレしているのか意味不明なんだけど、この頃の僕は「カッコいい人間になりたい」みたいなフワフワした理想像を掲げて生きていたような気がする。

 

そのカッコいい人間てのが誰目線の意見なのかはっきりしないのだが、「なんとなくカッコいい」みたいな変なこだわりを持っている人間、皆ならどう思う?

 

僕はめちゃくちゃカッコ悪いんじゃないかと思う。

 

逆に言えばどんな趣味や仕事でも、ちゃんとした信念があって続けている人はカッコいい。

 

ただなんとなく、筋肉があると女の子にモテるかもだとか、そういう「単なるメディアの情報なんかに踊らされている人間」が一番ダサい。

 

今の僕が考えるのを嫌悪する程、過去の僕は「なんとなくのこだわりを振りかざすどうしようもない人間」であり、思い出すのも恥ずかしい黒歴史だ。

 

ユーチューブでたまに「一週間このサプリを飲み続ければ、筋肉バッキバキで女の子にモッテモテ」みたいな広告が流れてくる。

「あんな薬誰が好んで買うんだろう?」なんて思いながら見ているが、僕だよ僕、過去の僕が買うんだよ。

 

話が逸れたけど、今回は「こだわりなんかいらない」ってことを言おうと思ってたんだった。

 

もちろんそれが楽しいなら無理に辞めることはないし、こだわりを貫いて生きている人はカッコいい。

 

でも最近それは「本当に特別な人に許された領域」だと考えるようになった。

 

「自分が弱い人間」だと理解した日から、「自分が特別では無い」と知った日から。

 

そんな「一流」みたいな生き方は出来ないんだなと思った。

 

そして僕の豆腐のメンタルでは、そこに行きつく前に心が潰れてしまうな。

 

そう思ったんです。

 

「他の誰か」がカッコいいかどうかは、別に自分がカッコ悪いことに通じないし、自分のことをないがしろにしている。

 

ただ生きているだけで色んなしがらみがあるとは思うんだけど、結局自分じゃない何かの要因が絡んだことは続けるのが難しいんだよ。

 

自分自身で生き方の答えを出す。妙な「外的要因のこだわり」なんか捨てて本当に自分が生きたいように生きるということが、そう思ってブレない心を持つことが大事なんじゃないかなと思う。

 

これからも偉そうな事を言うかもしれないけど、僕にはこうする事しか出来ないから、このままの僕を応援してくれるとありがたいです。