【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考・34】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

先に言っておくが、僕は宗教に傾倒しているわけではない。

 

今日は住居から50キロ程離れたところにある、大きな神社にお参りに行ってお守りを買ってきた。

 

僕は信心深いわけではないし、お正月でも初詣に行かないくらいそういったことには無頓着だ。

 

しかし、適応障害になってから「あぁそうか、人間には努力だけではどうしようもない問題が常に付き纏うのだな」と考えるようになり、そんな自分の能力だけでは足りない「運」の部分を補うために以前より頻繁に神社に通うようになった。

 

「ここまではなんとか努力したので、あとはどうかよろしくお願いします」

 

このくらいの事を頼んでおけば、たとえその後に願いが叶わなかったとしても、きっと自分の能力を出しきっていなかったのだろうなと思える。

 

こういう時にだけ神様に頼るのも少し気が引けるので、以前より少しお賽銭の額を上げてお参りしている(それでも微々たるものだが)

 

僕が今回お参りをした神社に祭られている神様は「大国主(オオクニヌシ)」という縁結びの神様で、有名な出雲大社に祭られている神様と同じ。

 

何に対しても「縁」というものは大事だと思い、少し遠くの神社まで赴いた。

 

僕はかつては人知の及ばない大きな力を少なからず信じていたが、病気をしてからというもの以前より現物主義になっていしまい、目に見えないものを信じることが難しい。

 

適応障害で苦しんだ時に「自分の生きている責任は、自分で果たすしかない」という考えに至ったためである。

 

でも、初詣にも行かなかったような僕が、時間があったら神社に赴くようになったというのはなんとも不思議な気分だ。

 

神様に失礼にならないように、少しだけ身ぎれいな格好をして行くようにもしている。

 

今の僕はきっと、以前の頼りきったお願いごとをしていた時より「神様」という存在を信じているのかもしれない。

 

これからも自分ができる限り努力をしたら、「運」の後押しをしてもらうために神社に向かおう。

 

この世界で生きるというのは、きっと合理的な考え方で片付けられないことを受け入れて生きていくということだと思うから。


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