【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【思考的弱者思考・39】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

以前の記事で6月までに小説を一本書ききると言ったけれど(自分の目標としては10万字~15万時の長編小説)未だに1万2千文字程のどこに着陸するかすら分かっていない文章しか書けていない。

 

しかもこれが全然エンターテイメント性に優れていなくて自分で読み返すも没にする以外はあり得ない程の駄作である。

 

創作物と言うのは「人に見せてみて初めて評価される」ものであり、駄作であっても書き上げないと作者本人の文章が上達しないというのは僕の持論だが、ここまで書いていて手ごたえの無い小説をいつまでもこねくり回していても到底面白い物が出来上がると思えない。

 

まぁプロットも書かずに自分の感覚だよりの書き方をした僕の失敗であるのだが……

 

こういう時、他の小説を書いている人の意見や経験談を聞いてみたくなる。

 

自分の書いているものが信じられない時、もしくは書いている途中で自分の文章の面白さを信じられなくなった時、皆ならどうやってモチベーションを保っていられるのか。

 

本当はそんなこと他人に聞かなくても「熱量の問題」だってのは分かってるんだけどさ。

 

根性論ではなく、どれだけ自分が自分の書いた文章を愛しているか。

 

例え拙くとも「自分の中の世界観を周囲に伝えたい」という気持ちが文章を書く上で最も必要な事なんだろうね。

 

昔、漫画家を目指していた時も同じような感覚によく陥ったな、周囲の人間は僕よりはるかに表現が上手い上に技術の向上に前向きで勤勉だった。

 

そんな人たちが今、プロになって活躍している。

 

漫画にしても小説にしても、またブログにしてもストイックになり切れない僕には本当は創作活動なんて向いていないのかもしれないけど。

どういう訳かこうして文章を書いて自己表現をしている時は幸せを感じられる。

 

特にブログという形式は自分の考えを短い文章で表現できるため、僕に向いていたようだ。

 

それでも前回の記事を書くまで二週間以上間が空いてしまったんだけどね。

 

きっと自分のやっている大抵のことに意味なんかなくて、誰にでも変わりがきくような僕の書いているこの自己満足な文章に必要性も無いのかもしれない。

 

でも、もしかしたら僕がこうして文章を通して考えをどこかの誰かに投げかけていることで「何かの意味」が生まれる日がくるのかもしれないな、なんて思う時もある。

 

ならば波に流されて、どこにたどり着くか分からないボトルメールのような文章を書き続けることも悪くはないのかな。

 

書いて書いて書き続けないと、もし僕の文章を必要としてくれる人が現れた時にちゃんとその人に届かないもんな。