【天上天下唯我独尊男ドクソ】

自分を知るためのブログ

【元気さえあれば、人生は明るい】

皆さん、いつもありがとう『ドクソ』です。

 

躁鬱病患者だ。

 

いや、躁鬱病には完治と言う言葉が当てはまらないから、いまだに躁鬱病の患者なのかもしれない。

 

実は今でも定期的に死にたい気分が襲ってきては僕の思考を支配することがある。

 

僕はもう病気は治ったと思っているのでこの症状は「ただの癖」のようなものだと捉えているのだが、もしかしたらこの悪癖こそが躁鬱病そのものなのかもしれないと考えている。

 

この「死にたい気分」と言うのは、僕が学生時代に受けたイジメが最初の原因で、それから20年近く経とうとしているのにも関わらず僕の事を苦しめてくる。

 

受けたイジメは一般的にありふれた事件だが、それでも僕の心に傷を残すには十分だったんだろう。

 

今の自分なら、あの時の自分にどうやって声を掛けるべきか分かるし、それの回避方法も教えてあげられるけど。

 

そんな「たられば」を並べた所で過去へは戻れないんだから、今現在の自分を強く生きなきゃいけないなと思っている。

 

僕は別にあの時イジメに加担した人たちに復讐したいとは思っていない。

 

ただ、もし今このブログを読んでくれる人たちの中で不当に誰かを傷つけてしまっているようなことがあれば、この文章を読んで考えを改めて欲しいと願っているだけだ。

 

よく聞くじゃん「イジメの加害者はそのうち忘れてしまうけど、被害者はずっと覚えている」って。

 

あれは本当の事なんだなぁと思う。

 

いつまでも引きずっているなんて恥ずかしいし、出来れば被害者側も忘れてしまいたいような記憶なんだけど。

これがなかなかうまくいかない。

 

そう、上手くいかないんだ。

 

一度「強い自己否定」を抱くと、「自分は何をしてもダメな奴」という負のスパイラルから抜け出せなくなる。

 

僕はかつての事を憎む気持ちは無いのだけど、それでも誰かの発言をいちいち意味ありげに受け取っては自己否定に繋げる癖がついてしまった。

 

イジメなんてさ、皆軽い気持ちでやるもんなんだと思うよ。

それこそ被害者の反応が面白いからっていう理由が一番多いんじゃないかな。

 

本当に面白いことってのは誰かを傷つけないユーモアであるべきだから、他人を蔑んだり、または自分を蔑んだりして生まれるもんじゃない。

 

だから僕も自分を否定する癖を矯正して「面白い人間」だと思われたいなんて思って毎日を過ごしている。

 

ツレがうつになりまして」でも言ってたな。

「勇気と元気があれば貧乏でも楽しい日々が送れる、その勇気が持てなかったことが一番悔しかった」みたいなことを。

 

鬱ってのは簡単に言ってしまえば「元気が無くなる病気」で、それ以上でも以下でも無いのだけれど。

 

人間においてその「元気」ってのがどれだけ重要なのか病気を通して思い知らされた気がしたよ。

 

僕はまだまだ上手くいかない事ばっかりだけど、それでも日々元気だけは無くさないように努めていこうと思ってる。

 

元気さえあれば何でもできるんだ。